朝鮮王朝には42人の王妃がいたが、その中で最も多くの子を産んだのは、果たして誰であっただろうか。それは、王朝最高の名君と称された4代王・世宗(セジョン)の妻であった昭憲(ソホン)王后である。彼女は息子8人、娘2人の母となり、「最も大君を誕生させた王妃」という称号にふさわしい存在となった。
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ちなみに、「大君(テグン)」とは国王の正室が産んだ王子であり、嫡流そのものになっている。一方、側室が産むと「君(クン)」になり、庶子のような扱いになってしまう。昭憲王后の場合は「大君」をたくさん産んでいるので、功績度ナンバーワンであると考えることもできるだろう。それだけに、夫である世宗は妻のことを心から称賛していた。
しかしながら、昭憲王后が産んだ息子たちの中には、甥から王位を奪った首陽(スヤン)大君(後の7代王・世祖〔セジョ〕)のような非道な行動をとる者もいた。聖人として知られる世宗の息子がこのような行いをしたことは、きわめて残念なことであった。
再び王妃たちの出産に目を向けると、42人の中で子供を1人も産まなかったのは18人にのぼり、全体の約43%にあたっていた。この事実は、特に朝鮮王朝後期になると、より顕著になる。
たとえば、1674年に即位した19代王・粛宗(スクチョン)の治世以降、10人の国王が即位して17人の王妃を迎えたが、そのうち子を産んだのはわずか6人だけであった。その結果として、20代目以降の国王の後継ぎは、主に側室の子供たちによって継承されるようになった。
この一連の事実を総合的に考えると、朝鮮王朝の王妃たちの間における出産のパターンは多様であり、昭憲王后のような例外的な成果を上げた王妃もいれば、子供を産まなかった王妃も少なくなかったという現実が浮き彫りになってくる。それでも、国王は世襲で代々受け継いでいって、系統を絶やしてはならない。「王子の少子化」によって王家が苦労していた様子が目に浮かぶようである。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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