朝鮮王朝には27人の国王がいた。518年間続いた王朝の前期には国王が10人くらいの側室を持つのが常識だった。しかし、王朝の後期になると、国王が抱える側室は減っていき、3人から5人くらいというのが一般的であった。
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それでも、たくさんの側室を持つことを選択した国王は、必然的に多くの子供たちを得ることになる。特に、王妃からの男子が存在しないとき、側室から生まれた王子が王位に就くことは通例となった。それだけに、できるだけ多くの男子を得ることこそ、後継者を確保する手段であった。
この視点から、側室が産んだ子供たちの数を調べると、側室を通じて最も多くの子供たちを授けられた国王の名が浮かんでくる。その中でも、第9代の成宗(ソンジョン)は最も多くの子供を側室から得た王であった。彼は王妃から3人、側室から25人の子供たちを授かった。法制度を確立して賢明な君主として知られる成宗は、「英雄は美女に弱い」というフレーズを具現化した存在でもあった。
次に、側室から最も多くの子供を授かった国王としては、第2代の定宗(チョンジョン)と第14代の宣祖(ソンジョ)がいて、それぞれが側室から23人の子供を得ている。
しかし、定宗の場合、王妃からは子供が1人も生まれていなかった。一方、宣祖の場合、王妃からも2人の子供が生まれていた。これらの事実に基づくと、側室から生まれた子供の数では、成宗が25人で1位、定宗と宣祖がそれぞれ23人で2位であった。
史上最高の名君
このように、側室から多くの子供を得た国王トップ3を紹介したが、ハングルを創設して名君と称えられた第4代の世宗(セジョン)もまた、多くの子供を持っていたことで広く知られている。
彼の場合、側室から生まれたのは12人だが、正室も10人産んでいる。合計で22人。正室と側室を合わせてバランスよく子供を持ったという意味でも、世宗は子作りが賢かった。こういうところにも、「史上最高の名君」の資質が感じられるかもしれない。
文=大地 康
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