朝鮮王朝の4代王・世宗(セジョン)が民族固有の文字「ハングル」を1446年9月に公布したときは「訓民正音(フンミンジョンウム)」と呼ばれた。それは、「民に教える正しい発音」という意味で、世宗が学者と一緒に自ら主導して創製している。
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世宗は当時、「学問がない人は言いたいことがあっても、思いどおりに意思を表すことができない。これを不憫に思って、新たに文字を作った」と明らかにして、「訓民正音」を作った意義を強調していた。
それ以前には、朝鮮半島に固有の文字は正式にはなくて、中国から伝わった漢字が公式の文字となっていた。
しかし、漢字は難しい。庶民には覚える機会がなかなか持てず、両班(ヤンバン)を中心とする特権階級だけが漢字を自在に使うことができた。このことに疑問を感じた世宗は、民族固有の文字の創製に取り組んだ。
しかし、反対勢力が強力だった。それは、官僚たちであった。彼らにとっては庶民が知らない漢字を操れることが特権階級の証であり、わかりやすい文字が普及したら、自分たちの権威がおびやかされてしまう。そういう狭い了見で、新しい文字の創製に反対だった。
そこで、世宗は反対勢力を刺激しないように、内密に新しい文字の創製に向けて親しい学者だけを集めて取り組んだ。
こうして完成した「訓民正音」。庶民にとっては「わかりやすくて覚えやすい文字」は大歓迎であったが、官僚たちは普及に対して消極的で、王朝の公式的な文字になることを拒む動きも多かった。
結局、せっかく公布された「訓民正音」も社会的な普及がなかなか進まなかった。事情が変わったのは19世紀末だ。26代王・高宗(コジョン)の時代に「訓民正音」は「国文」として広く使われるようになり、さらには「ハングル」という名で呼ばれ始めた。これには“偉大な文字”という意味が込められている。
今では「ハングル」を作った世宗は「史上最高の名君」と称賛されている。この文字を作ったことも偉大だが、官僚たちの反対を押し切って信念を貫いたという意味でも、本当に民族最高の業績であった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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