ハングルはなぜ生まれたのか。名君・世宗はなぜ作らせたのか

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『大王世宗』や『根の深い木~世宗大王の誓い~』などの時代劇で主人公として登場している朝鮮王朝の4代王・世宗(セジョン)『大王世宗』ではキム・サンギョン、『根の深い木』ではハン・ソッキュが演じている。

3代王・太宗(テジョン)の三男として生まれた世宗。世子(セジャ)のときは忠寧(チュニョン)という名前だった。

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朝鮮王朝には「長男が王の後継者になる」という決まりがあるため、2人の兄がいた忠寧は本来なら王になれるはずがなかった。

しかし、長男の譲寧(ヤンニョン)は父親の太宗が王の後継者のことで悩んでいることを察し、自ら無能を装って王の後継者となる権利を失い、二男の孝寧(ヒョニョン)も仏門に入ることで王位を弟に譲った。

こうして2人の兄から認められた忠寧は、1418年に世宗として即位したのである。

名君とされる世宗の銅像

訓民正音の創製

そんな彼の一番の功績といえば、何と言っても民族固有の文字である「訓民正音(フンミンジョンウム/現在のハングル)」を創製したことだ。その「訓民正音」はどのような理由で作られたのか。その経緯を見てみよう。

世宗が統治していた当時の朝鮮王朝では、主に漢字が文字として使われていたが、それを使えたのは特権階級の人たちだけで、庶民は使うことができなかった。

それを知った世宗は民族固有の文字である「訓民正音」の創製に取り掛かった。それは1443年に完成する。

しかし、自分たちの特権が脅かされることを恐れた特権階級の者たちが普及を妨げたため、「訓民正音」が庶民たちに広く公布されたのは完成から3年後の1446年だった。

その後、1450年に亡くなった世宗だが、ハングルを作ったという偉大な功績により、朝鮮王朝最高の名君と呼ぶにふさわしい王だと言える。

文=大地 康

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