【血塗られた栄光】骨肉の争いが引き起こす朝鮮王朝の過酷な運命とは?

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人気時代劇の『100日の郎君様』において、主役のド・ギョンスが演じているイ・ユルは、端正な容姿が特徴の人物である。彼は、父が謀反を起こして国王に即位したことによって自身も世子(セジャ)となる。ここから、物語は壮大な展開を見せる。

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劇中でイ・ユルの父である国王のイ・ホは、悪徳高官のキム・チャオンに従って謀反を企て、兄を冷酷にも暗殺した。こうして彼は自らが新たな王に即位する運命を背負ったのである。この激烈な権力争いは、朝鮮王朝の史実においてもしばしば見受けられる出来事だった。まさに、朝鮮王朝において権力争いは日常茶飯事なのだ。

『100日の郎君様』は史実とは異なる架空の物語設定ではあるが、実際に兄弟を殺して新たな国王に即位するという事例が存在したのだろうか。

確かに、歴史上も骨肉の争いがあった。たとえば、15代王の光海君(クァンヘグン)が該当する。彼は1608年に国王となり、激しい政権争いの末、1609年に兄である臨海君(イメグン)を冷血にも殺害した。さらに、彼は弟の永昌大君(ヨンチャンデグン)の命も奪ってしまった。

このような出来事によって彼は多くの怨みを買い、1623年にはクーデターによって廃位となり、王宮から追放される運命を辿った。
他にも実例があった。3代王の太宗(テジョン)も1398年に二人の異母弟を権力争いの果てに殺害している。

写真=tvN『100日の郎君様』韓国ポスター

架空の物語設定

特に末弟は世子の地位に就いていた。そんな弟を殺して太宗は国王になった。結果としては常に力がある者こそが勝者となった。太宗はこのような非情な行為を経て、強力な君主として朝鮮王朝を指導し、その基盤を築き上げたのである。朝鮮王朝が518年もの長い歴史を刻むこととなったのは、実力者である太宗の手腕によるものだったと言える。

さらに、血縁関係による争いとしては、7代王の世祖(セジョ)が先代の国王である甥の端宗(タンジョン)から王位を奪い取った事件がある。その末に世祖は、冷酷にも端宗を殺害している。

『100日の郎君様』におけるイ・ユルの父も、朝鮮王朝の歴史と同様の行為を行なっている。韓国時代劇では、たとえ架空の物語設定であっても、常に歴史の修羅場を繰り返しているものなのだ。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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