【これが三大王妃!】朝鮮王朝の王宮で女官の評判が良かった王妃は誰なのか

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朝鮮王朝では518年間に42人の王妃がいたが、悪女から聖女まで様々な人がいた。その中で女官たちにとても評判が良かった王妃を選んでみたら、究極的には3人にしぼられた。それは、仁顕王后(イニョンワンフ)、孝懿王后(ヒョウィワンフ)、哲仁王后(チョリンワンフ)であった。

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仁顕王后[1667~1701年]

19代王・粛宗(スクチョン)の正妻。仁顕王后は聖女と評されるほど性格が素直で優しい女性だった。その一方で側室の張禧嬪(チャン・ヒビン)はあまりにわがままで、目上の仁顕王妃すらいじめるような悪女であった。結局、粛宗は仁顕王后より張禧嬪を気に入り、1689年に仁顕王妃は廃妃となり、張禧嬪が王妃に昇格した。

しかし、張禧嬪が極端に欲張りすぎて粛宗の寵愛を失い、仁顕王妃は1694年に王妃に復帰して張禧嬪が再び側室に降格になった。以後、仁顕王妃は誰からも慕われたのだが、惜しくも1701年に34歳で亡くなってしまった。

孝懿王后[1753~1821年]

22代王・正祖(チョンジョ)の正妻。42人いた王妃の中で人格が一番優れていたと言われている。宮中で誰もが尊敬するほど評判が良かったのだ。孝懿王后はドラマ『イ・サン』にも登場する王妃だが、正祖との間で子供を宿すことはできなかった。それでも、後世では「もっとも徳があった王妃」として記憶されている。1821年に68歳で亡くなった。

『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』でシン・ヘソンが哲仁王后を演じた(写真=© STUDIO DRAGON CORPORATION)

哲仁王后[1837~1878年]

25代王・哲宗(チョルジョン)の正妻。性格はおとなしくて謙虚であった。しかも、言葉が少なく悪口を言わなかった。それゆえ、女官の間でも好意的に見られていた。1858年に王子を産んでいるが、早世してしまったので、大妃(国王の母)になることはできなかった。哲宗は「酒好きで女好き」と言われて評判が良くなかったが、哲仁王后はそんな夫にも素直に従い続けた。

1863年に32歳で哲宗が亡くなったあとも王宮で質素に暮らし、1878年に享年41歳で世を去った。人気時代劇『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』のヒロインになり、シン・ヘソンが哲仁王后に扮している。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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