朝鮮王朝518年間には42人の王妃がいた。恐ろしい悪女、誰からも慕われた聖女、極端にわがままな女性……などと個性的な人もいたが、多くの王妃は目立たない存在だった。
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そんな「地味な王妃」の1人が哲仁(チョリン)王后であった。
シン・ヘソンが主演した『哲仁王后~俺がクイーン!?~』が韓国であれほど大人気を獲得する以前なら、哲仁王后のことを知っていた人はほとんどいなかったのではないだろうか。
しかし、ドラマの影響はとてつもない。今の韓国では、哲宗(チョルジョン)の妻となった哲仁王后について多くの人が知るようになった。まさに、人気ドラマが歴史上の隠れた王妃を有名にさせたのである。
そんな哲仁王后は、実際にどんな人だったのだろうか。
本名はキム・ソヨンという。生まれたのは1837年である。
父親はキム・ムングンで名門の出身だ。何よりも大きかったのは、19世紀の前半に朝鮮王朝を仕切っていた安東(アンドン)・金(キム)氏の一族に入っていたことだ。
この一族は絶大な権力を握っていたのだが、元締めは純元(スヌォン)王后である。『哲仁王后~俺がクイーン!?~』ではペ・ジョンオクが演じていて強烈な個性を発揮していた。
実在の純元王后は安東・金氏の繁栄だけを願う人物で、哲宗の妻は絶対に一族出身の女性にしたいと願っていた。その希望どおりになったのがキム・ソヨンであり、彼女は14歳だった1851年に王宮に入って哲宗の正室となった。
性格が良くて、感情も表に出さなかったという。本当に地味な人だった。
その一方で、父親のキム・ムングンは評判が悪い人物で、性格も横暴だった。そのために、王宮の中で哲仁王后は心を痛めていたという。
さらに哲仁王后を困らせたのが、夫の生活態度であった。哲宗は酒を飲みすぎる上に女性問題も派手であった。それゆえ、哲仁王后はかなり寂しい日々を過ごしたことだろう。
彼女は21歳のときに王子を出産していたが、すぐに亡くなってしまった。本当に無念であった。その悲しみはあまりに深かった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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