『シュルプ』ではキム・ヘスクが演じた大妃(テビ)がとても権力欲が強い女性として描かれていた。彼女は陰謀のかぎりを尽くして王宮を支配しようと傲慢に動いた。
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朝鮮王朝の史実に目を移すと、「大妃」と聞いて真っ先に頭に浮かぶのが9代王・成宗(ソンジョン)の母親であった仁粋(インス)大妃だ。彼女は学問に秀でた女性であり、朝鮮王朝時代の王族女性の教科書と言われた「内訓(ネフン)」という本を執筆している。本当に才人だった。
ただし、権力欲がとても強かった。そんな彼女の標的になったのが成宗の二番目の正室だった尹氏(ユンシ)であった。
仁粋大妃は嫁の尹氏のことを「育ちが貧しい」という理由でとても嫌っていた。そんな仁粋大妃に対抗意識を燃やした尹氏であったが、仁粋大妃の厳しいイジメにあって魔が差したのか、こともあろうに成宗の顔を引っかいてしまった。仁粋大妃が激怒し、尹氏は1479年に廃妃となってしまった。
反省した尹氏は実家で質素に暮らした。何年か経つと尹氏の実家が困窮しているという噂が流れ、成宗は「生活の援助をしよう」と思い始めた。
そこで、成宗は様子を知るために使者を派遣した。その使者は、尹氏が質素に暮らしていることを実際に見て、その通りに報告しようと思った。しかし、成宗に報告する途中で仁粋大妃に呼び出されて、「あの女はいまだにわがままに暮らしていましたと王様に報告せよ」と脅迫された。
使者は恐ろしくなって、仁粋大妃の指図の通りに偽りの報告をした。それを聞いて成宗は立腹し、尹氏は1482年に死罪に追い込まれてしまった。尹氏は完全に仁粋大妃の策略にはまってしまったのだ。
それにしても、かつての王妃を死罪にまで追い込んだ仁粋大妃は本当に恐ろしい女性だった。『シュルプ』の大妃も側室時代に策略によって王妃を死罪に追い込んだ。『シュルプ』は史実とは違って時代設定が架空の物語だが、登場する大妃はまるで仁粋大妃のような人だったのである。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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