大評判となった『シュルプ』は、設定が架空の時代劇だが、史実とよく似た出来事を描いている。たとえば、第5話の最後では、ペ・イニョクが演じた世子(セジャ)が喀血(かっけつ)して命を落としてしまう。
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キム・ヘスが演じたファリョン王妃は慟哭(どうこく)するのだが、朝鮮王朝の518年間の歴史では、世子が命を落とした悲劇的な出来事は何回あっただろうか。順に見ていこう。
李芳碵(イ・バンソク)は、朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)の八男であった。頭脳明晰であったために1392年に10歳で世子に指名されたが、1398年に王子同士の内乱があり、異母兄の芳遠(バンウォン/後の3代王・太宗〔テジョン〕)に殺害されてしまった。7歳で世子となった。学問を好み、とても優秀な若者であったのだが、からだが弱くて19歳で早世した。重病のときに21人の僧侶が健康回復のための祈祷を行なったが、命が助からなかった。
昭顕(ソヒョン)世子は、16代王・仁祖(インジョ)の長男であった。朝鮮王朝が清に屈服した1637年に人質として清に連行されたが、1645年にようやく帰国できた。しかし、世子として先進国の清の統治システムを朝鮮王朝に導入する意欲を持ったことが、父親の仁祖から非難され、わずか2か月後に急死してしまった。仁祖と側室によって毒殺されたと推定されている。
思悼(サド)世子は、21代王・英祖(ヨンジョ)の二男である。子供のときから聡明で大いに期待されたが、素行が乱れてしまった。彼は、世子を廃されて英祖から自決を命じられた。従わないでいると、米びつに閉じ込められてそのまま餓死した。1762年のことだ。
孝明(ヒョミョン)世子は、23代王・純祖(スンジョ)の長男である。18歳で父の政治を代行して成果を挙げた。「将来はかならず名君になる」と期待されたが、1830年に21歳で急に喀血して早世した。
以上のように、世子という身分のときに命を失ったのは5人であった。内訳は、病死が2人で殺されたのは3人だ。
『シュルプ』の世子のような死に方をしたのは孝明世子である。喀血して急死するところが同じだった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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