『トンイ』というドラマは娯楽性が高い時代劇なのだが、歴史的な事実もきちんと描いていた。主役のハン・ヒョジュが演じた淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)がメインで扱われたのは当然としても、同じように、イ・ソヨンが扮した張禧嬪(チャン・ヒビン)とパク・ハソンが演じた仁顕(イニョン)王后にもたくさんスポットが当たっていた。
【関連】【『トンイ』のビックリな場面!】王妃から転落した張禧嬪はどう描かれたのか
ドラマでは、仁顕王后が張禧嬪から執拗に攻撃を受けるのだが、それは史実でも同じなのだろうか。当時の背景を解説していこう。
1694年に王妃から側室に降格してしまった張禧嬪。彼女がひどく落胆したのが1694年9月20日の出来事だ。
この日に何が起こったのか。
実は、粛宗(スクチョン)が寵愛する淑嬪・崔氏が王子を産んだのである。粛宗にとっては二男にあたるが、この王子が後の21代王・英祖(ヨンジョ)である。
粛宗は本当に嬉しかったようだ。お付きの臣下たちに褒美として馬を贈っている。それこそが、粛宗の喜びの大きさを物語っていた。
しかし、粛宗の長男である世子を産んでいる張禧嬪はあせっていた。世子に6歳下の弟ができて、いつ粛宗の気が変わるかわからなかったからだ。
不安が大きくなった張禧嬪がイライラをぶつける相手が仁顕王后だった。彼女の性格が優しすぎるのをいいことに、張禧嬪は仁顕王后をイジメるようになった。
言葉遣いもひどかった。本来なら、王妃のことを「中殿(チュンジョン)」と尊称で呼ばなければならないのに、張禧嬪は露骨に「閔氏(ミンシ)」と呼んだ。直接名前で呼んで敬称をはぶくというのは、とても無礼なことだった。
しかし、張禧嬪はお構えなしだ。イジメはひどくなる一方だった。
さらにエスカレートした張禧嬪は、お付きの女官に命じて、仁顕王后の寝殿の窓に穴をあけさせて中を見張らせた。つまり、「のぞき」までさせたのである。
すでに張禧嬪は粛宗の寵愛を失っているのに、悪あがきをやめなかった。
被害を受け続けたのが仁顕王后だ。結局、彼女は1701年に34歳で亡くなってしまった。張禧嬪によるイジメの心労があったことも、早死にの理由の一つになっていた。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
■【関連】『トンイ』の悪役チャン・ヒビンが死罪直前の行動は史実と何が違う?
前へ
次へ