『トンイ』というドラマは、放送から10年以上が経っているのに人気がいまだに高く、時代劇のランキングを行なうとかならず上位に入ってくる。
【写真】『トンイ』のハン・ヒョジュが新人時代に代役で掴んだチャンスとは?
この『トンイ』で仁顕(イニョン)王后に扮していたのがパク・ハソンであり、彼女は清楚な王妃を本当に美しく演じていた。
史実で見ても、仁顕王后は後世でも大変好意的に評価されていたが、残念ながら寿命が短かった。この王妃は1701年8月14日に34歳の若さで亡くなったのだ。
生前、仁顕王后をよくいじめていたのが、悪名高い張禧嬪(チャン・ヒビン)であり、そのストレスも仁顕王后の身体に影響を及ぼしたかもしれない。
そのことを一番残念に思っていたのが、仁顕王后をとても慕っていたトンイである。歴史的には、淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)と呼ばれる女性だ。
この淑嬪・崔氏は粛宗(スクチョン)の側室だったのだが、仁顕王后が亡くなったときに号泣し、「私が王妃様に代わってかならず怨みを晴らしてみせます」と誓った。
以後、淑嬪・崔氏は情報を収集して張禧嬪の行動を徹底的に調べ上げて、悪女が行なった罪深いことを粛宗に報告した。それは、仁顕王后が亡くなってから40日後のことだった。
この場合、張禧嬪が行なった罪深いこととは?
なんと、仁顕王后を標的にして呪詛(じゅそ)をしたのだった。具体的には、巫女(みこ)を呼んで呪い殺すための儀式を行なったのである。
もともと仁顕王后が病弱だったのは事実だったが、粛宗は張禧嬪が行なった呪詛に激怒し、すぐに死罪を申し渡した。
結局、張禧嬪は10月に入ってから毒を飲んで自決せざるをえなくなった。それもすべて淑嬪・崔氏の告発が粛宗の気持ちを動かしたからだ。
こうして、淑嬪・崔氏は慕っていた仁顕王后に代わって張禧嬪に復讐を果たしたのである。
『トンイ』でも張禧嬪の死罪は大きく取り上げられていたが、彼女は自分が行なった罪深い仕業の責任を問われて命を失うことになった。
淑嬪・崔氏としては、このように見事な仇討ちを果たしたのである。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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