ハン・ヒョジュが演じた『トンイ』は、数多い時代劇の中でも息が長い人気を誇っているが、このドラマに登場するキャラクターの中で主人公トンイを除いて好感度が一番高いのが仁顕(イニョン)王后だ。
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清楚なイメージを持っているパク・ハソンが演じたことも大きい。しかも、どの史書を見ても、仁顕王后は決して悪く書かれていない。そう意味では、悪女として名高い張禧嬪(チャン・ヒビン)とはまったくの好対照である。
しかし、本当に仁顕王后は聖女のような女性だったのだろうか。
彼女の本当の姿の一断面を見てみよう。
仁顕王后が粛宗(スクチョン)の二番目の正室になったのは1681年のことだ。このとき、粛宗が寵愛していたのは張禧嬪であった。
それだけに、仁顕王后は王妃になってからも粛宗にあまり相手にされず、随分と寂しい気持ちを味わったことだろう。
本来なら、仁顕王后が張禧嬪のことを憎んでも当然なのに、むしろかばっていた。粛宗の母の明聖(ミョンソン)王后によって張禧嬪が王宮から追い出されたときも、人がいい仁顕王后は同情を寄せていた。
しかも、明聖王后が亡くなった直後には、張禧嬪が王宮に戻れるように特別な配慮もしている。こうなると、本当に聖女に違いない。
そうやって仁顕王后は張禧嬪を大事にしたのだが、当の張禧嬪は特別に感謝もせず、むしろ仁顕王后のことを馬鹿にするようになった。
それがあまりに度が過ぎて、さすがに仁顕王后も黙ってはいられなかった。
そのとき、仁顕王后は果たして何をしたのか。
なんと、張禧嬪を呼び出して、ふくらはぎをムチで叩いたのである。
それがあまりに強烈で、張禧嬪が悲鳴をあげるほどだった。
以後は、仁顕王后と張禧嬪の対立が激しくなっていったのだが、仁顕王后も粛宗の妻として王宮の中で必死に生きていかなければならなかった。
「張禧嬪に負けていられない」
そのような気持ちを持って、仁顕王后は王妃としての威厳を見せようと努めた。実に芯が強い女性だった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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