時代劇『七日の王妃』ではヨン・ウジンがイ・ヨクを演じているが、彼は歴史的には晋城大君(チンソンデグン)と呼ばれた。
異母兄が、イ・ドンゴンの演じる燕山君(ヨンサングン)である。
史実をみると、晋城大君は燕山君をとても恐れていた。あまりに暴君だった国王から身を守るだけで精一杯だったのだ。
もちろん、自分から謀反を起こして政権を転覆させるつもりもなかった。それを証明する出来事が三つある。
まずは、最初の事例から。
1506年に国を憂える高官たちがクーデターを起こしたとき、高官たちの軍勢は晋城大君の屋敷に駆け付けた。晋城大君に次の王位に就いてもらうためであった。
しかし、晋城大君は勘違いをした。高官たちの軍勢を、燕山君が送ってきた兵士たちだと思ってしまったのだ。つまり、「兄が自分を殺しに来た」と錯覚したのである。クーデター軍の動向をまったく察知していなかったことが、彼が政権転覆をまったく考えていなかった証拠になっている。
二番目の事例について。
クーデターを成功させた高官たちが晋城大君に国王就任を要請したとき、彼は真っ先に断っている。そのときの言い訳が「朝鮮王朝実録」に載っているが、それによると晋城大君はこう語ったそうだ。
「兄をさしおいて国王を継いだら、何を言われるかわからない」
ここまで国王になることを拒絶していた人間が、まさか自分からクーデターを起こすはずがない。
三番目の事例について。
高官たちの度重なる説得によって、晋城大君はようやく国王になる腹を固めた。しかし、即位があまりに急だったので、即位式には正式な冠服を着ることができなかった。これは、本当に異例のことだった。
これほどまでに晋城大君の即位はまったく準備が整っていなかった。事前に何も考えていなかった、という意味で、晋城大君には燕山君を追い出すつもりが毛頭なかった。
以上の3つの理由によって、晋城大君の消極的な態度というものをうかがうことができる。
結局、晋城大君は「なるつもりがなかった」国王に無理やりさせられてしまったのだ。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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