「勢道(セド)政治」という言葉を知っているだろうか。これは、朝鮮王朝の歴史を語るうえで、とても重要な政治用語である。
それでは、その意味とは何なのか。
「勢道政治」とは、王の外戚が政治を取り仕切ることである。
つまり、王妃の一族が政治を独占することを指しているのだ。
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この「勢道政治」の弊害が一番大きかったのが、19世紀の前半である。仕切っていたのは安東・金氏(アンドン・キムシ)の一族だ。
当時、23代王の純祖(スンジョ)の治世下であった。
それなのに、安東・金氏はなぜ権力を掌握できたのだろうか。それは、一族の賢い娘が純祖の妻になっていたからだ。
それが純元(スヌォン)王后であった。
純元王后はとても利発な女性で、物事をテキパキとやり抜く性格だった。
一方、イ・サンこと正祖(チョンジョ)の息子であった純祖は能力的には父親にはるかに及ばないところがあって、政治を仕切るのに不向きであった。
それで、妻の純元王后が権力を大いに動かせるようになって、彼女は一族にどんどん利権をもたらした。さらに、安東・金氏は一族で要職を独占するようになり、政治を私物化していった。
こうなると、賄賂が横行するようになり、政治は腐敗した。
純祖も抵抗していた時期があった。そのとき、安東・金氏を抑えるために、対抗勢力の豊壌・趙氏(プンヤン・チョシ)を取り立てたのだ。それは、その一族の娘が純祖の長男の孝明(ヒョミョン)世子の妻だったからだ。
孝明世子は、パク・ボゴムが主演した『雲が描いた月明かり』の主人公になった青年だ。頭脳明晰で能力が抜群だった。それは、ドラマでパク・ボゴムが演じたとおりで、すばらしい才能を持っていた。
彼の成長のおかげで、豊壌・趙氏が安東・金氏を駆逐しそうになったのだが、とんでもないことが起こってしまった。1830年に孝明世子が21歳で急死してしまったのだ。
こうして、豊壌・趙氏が没落して再び安東・金氏が復活した。結局、安東・金氏による「勢道政治」はその後も続き、朝鮮王朝が衰退する原因になってしまった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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