仁川(インチョン)の自由公園の中にある済物浦(チェムルポ)倶楽部。日本の植民地支配によって1913年に租界が廃止されると、日本の在郷軍人会が使用したり、日本人の婦人会が使用したりした。
解放後は、米軍の将校クラブ、仁川市の市議会、教育庁、博物館などとして利用された後、2007年6月に再び済物浦倶楽部として一般に公開されているが、この済物浦倶楽部の横を通って、自由公園の南側を下りていくと、そこはかって日本人居住地であった所だ。
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そこには第五十八銀行、第一銀行(いずれも現、みずほ銀行)や、長崎に本店を置く十八銀行の旧仁川支店の建物が残っている。日本人には馴染みのある、石造りの西洋式近代建築である。
そのうち1882年に建てられた第一銀行の建物は、1911年に朝鮮銀行の仁川支店になった。今でもアーチ型の玄関の上には、朝鮮銀行の文字が刻まれている。
朝鮮銀行は、1911年に設立された日本の植民地支配下における朝鮮の中央銀行であった。本店は当時京城と呼ばれたソウルにあったが、日本の大蔵省の管轄下にあり、重要な決定事項は東京でなされていた。
解放を経て韓国が建国された後は、韓国銀行に引き継がれたため、朝鮮銀行の文字を韓国で見ることはほとんどない。日本の植民地支配の産物であるが、書物の上でのみ知っていた朝鮮銀行の存在を直に確認すると、歴史が生きていることを改めて感じる。
なお、平たい倉庫のような形をした十八銀行の建物は、仁川開港場近代建物博物館として公開されている。
文・写真=大島 裕史
大島 裕史 プロフィール
1961年東京都生まれ。明治大学政治経済学部卒業。出版社勤務を経て、1993年~1994年、ソウルの延世大学韓国語学堂に留学。同校全課程修了後、日本に帰国し、文筆業に。『日韓キックオフ伝説』(実業之日本社、のちに集英社文庫)で1996年度ミズノスポーツライター賞受賞。その他の著書に、『2002年韓国への旅』(NHK出版)、『誰かについしゃべりたくなる日韓なるほど雑学の本』(幻冬舎文庫)、『コリアンスポーツ「克日」戦争』(新潮社)など。
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