【深発見60】伽耶の最後と海印寺の八万大蔵経

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伽倻(カヤ)は単独の国家でなく、小国の連合であったために、高句麗、新羅、百済の3国と隊列をなすことはなかった。

しかし、高句麗の広開土王(クァンゲトワン)が洛東江付近まで攻めてきた時には、団結して戦ったこともあった。

しかし、高句麗の南下に備えて、新羅と百済が手を結ぶと、間に挟まれた伽倻の立場は厳しくなり、新羅の隆盛に反比例して衰退していった。

 

【サク読み韓国史】新羅と渤海が並存した南北国時代の繁栄と消滅

532年、金官伽耶国の王・金仇亥(キム・グヘ)は新羅に投降し、金官伽倻国は滅亡した。541年には伽耶の復興会議が行われ、勢力を池山洞古墳群のある大伽耶に結集して生き残りをかけたが、562年、大伽耶も新羅に併合され、伽耶は滅亡した。

しかし、伽耶の魂は、三国を統一した新羅に、そして、現在の韓国に受け継がれている。

金官伽耶最後の王・金仇亥の末子の系統は、新羅の王族と深い関係を結んだ。特に金庾信(キム・ユシン)は、後に武烈王(ムヨルワン)となる金春秋(キム・チュンチュ)とともに、新羅の3国統一に貢献した。また金庾信の妹は、金春秋と結婚している。

そのため、統一新羅最初の王である文武王(ムンムワン)は、伽倻の血を半分受け継いでいることになる。文武王はそのことを自覚しており、金官伽耶の故地である金海を大事にした。金海金氏が今日の韓国で最大勢力となっているのも、それがあればこそである。

また大伽耶の王は楽師である于勒(ウルク)に、中国の楽器を手本にして作った琴で、楽曲を作らせた。

その後、大伽耶に危機が迫ると、于勒は楽器を持って、新羅に亡命した。

新羅で于勒は、宮中音楽の基礎を築くことになる。于勒が持ってきた琴は、于勒の出身地にちなんで伽耶琴(カヤグム)と呼ばれた。伽耶琴は、今日の韓国で最も愛されている伝統楽器の一つである。

伽耶が最後の勢力を結集した高霊まで来れば、名刹の海印寺(ヘインサ)まで足を伸ばしたい。海印寺は伽倻の母なる山・伽倻山の麓にある。

海印寺に保存されている高麗八萬大蔵経(写真提供=韓国観光公社)

バスを降りて山道を歩くと、海印寺の広い伽藍に辿り着いた。海印寺は、統一新羅時代の802年に建立された寺院だ。特に高麗王朝時代に、蒙古の侵攻を阻止することを願って掘られた八万大蔵経は有名で、世界文化遺産にも登録されている。

山里の夕暮れは早い。けれども、山里の閉ざされた空間にありながら、伽耶の地域は、海の向こうとつながっており、果てしない広がりを感じる。

文=大島 裕史

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