【深発見59】大伽耶の稜線に連なる池山洞古墳群

2022年04月14日 紀行 #大島裕史コラム
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金海(キムメ)を離れ釜山(プサン)に向かう途中、洛東江(ナクトンガン)が見えてきた。広い河川敷、滔々たる大河の流れは、朝鮮半島が大陸の一部であることを実感させた。

伽倻(カヤ)はこの洛東江、特にその西側を中心に発展した。河の東側では、やがて新羅が勢力を伸ばすことになる。

歴史の謎に包まれた国・伽耶と始祖・金首露(キム・スロ)のミステリー

初めて韓国を訪れた1987年の夏、私は金海の後、新羅の都・慶州(キョンジュ)を訪れ、その後、大邱(テグ)を経由して、金官伽耶国とともに伽耶の巨大勢力であった大伽耶(テガヤ)があった高霊(コリョン)を訪れた。

大邱の西部市外バスターミナルから韓国を代表する名刹・海印寺(ヘインサ)行きのバスに乗り、洛東江を越えて西に向かい、山間部に入ってしばらくすると高霊に着く。

池山洞古墳群(写真出典=韓国観光公社)

この時私は、高霊の地の古墳の写真は持っていたが、その古墳がどこにあって、何と言う名前の古墳かも知らなかった。そこで写真を見せながら、ほんの片言の韓国語で聞いても、知る人は誰もいなかった。

歩いているうちに、地域の文化院の看板を見つけた。建物の中にいた若い男性が写真を見て、何か言っているが、意味が分からない。

そこで、心臓を叩きながら、激しく息をするゼスチャーをしたので、かなり山の中にあることは理解できた。しかしここまで来て、きついからと引き返すわけにはいかなかった。

すると、男性は建物の中にいた若い兵士に、案内するように頼んでくれた。当時は韓国語がほとんど分からなかったので、会話をすることはできなかったが、どうも兵役中の学生のようだった。その兵士は嫌な顔一つせず山道を案内してくれ、本当にありがたかった。

数十分歩いて視界が開けた時、目の前に広がる風景に、私は思わず息を呑んだ。山の綾線に沿って、無数の円墳が並んでいる。これほど美しい古墳群が見たことがなかった。

この古墳群は、池山洞(チサンドン)古墳群という。山の稜線に連なる墳墓は確認されているだけでも700を超え、実際はもっと多いという。

高い所に古墳を作り、民衆に威勢を示そうということなのか、それとも、天に近い所に埋葬されたいという死生観からなのか。自己主張の強い古墳である。

また古墳の中には、主人と一緒に埋葬された殉葬墓もある。主人の周りに埋葬されているのは、家臣や奴隷と考えられている。

無理やり埋葬されたのか、それとも、何らかの宗教観によって、来世での幸福を信じて喜んで埋葬されたものなのか。シャーマニズムの影響を受けていることは確かなようだ。

また、大伽耶の池山洞古墳群からの出土物の中で、特徴的なのが王冠である。左右に出字型の立飾をした新羅式などと異なり、当地のものは、王冠の前面の中央に仏像の光背の形に似た立飾をしている珍しいものだ。

1987年夏に行った時は、案内物がほとんど何もなかったが、2000年秋に改めて行くと、案内板もかなり整備され、池山洞古墳群を降りた所には、独特の形をした王冠を前面に描いた展示館も建てられていた。

中に入ると、墳墓が再現されていた。出土物の中には、沖縄産の夜行貝で作られた装飾品もあった。古代においては、「貝の道」のようなものがあり、朝鮮半島南部の山の中にありながら、遠く南の島とも交流があったようだ。

文=大島 裕史

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