韓国時代劇の『麗<レイ>~花萌ゆる8人の皇子たち~』に主演したイ・ジュンギは、ドラマの中で高麗王朝の第4皇子のワン・ソを演じた。このワン・ソは後に4代王の光宗(クァンジョン)になっていくのだが、この王は大変な名君としてよく知られている。
それだけに、イ・ジュンギが颯爽と演じたのも、イメージがピッタリだった。それでは、光宗はどのように素晴らしい実績を残したのだろうか。史実の光宗を振り返ってみよう。
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936年に朝鮮半島を統一した高麗王朝だったが、当初は地方豪族が政治に介入して王権が混乱することが多かった。そんな中で即位したのが4代王・光宗だった。
光宗は王としての威厳があったし、聡明で容姿にも優れていた。そして、大胆な政治改革を試みた。その象徴が奴婢の解放だった。端的にいえば、奴婢であっても良民出身であれば、かつての立場を回復させる法律を作ったのだ。
当時の奴婢は、戦乱時に捕虜になってしまった良民が多かった。彼らは、有力豪族たちの個人資産であり私兵でもあった。しかし、光宗は彼らを解放させたのである。当然ながら、有力豪族の反発があった。それでも、光宗はひるまなかった。非常に意志が強い王だった。
さらに、光宗は科挙を採用した。優秀な人材を試験で選抜して高等官僚に就かせるというこの制度は、既得権にあぐらをかいていた建国時の功臣や豪族を排除するうえで効果的だった。こうした手腕が評価されて、光宗は「名君」と呼ばれた。
しかし、光宗は成功体験に酔ってしまった。それは、歯向かう者を大々的に粛清するという結果を生んだ。こうして光宗は、亡き兄の息子を手にかけ、自分の1人息子にまで疑いの眼を向けるようになってしまった。
以上のように、彼が晩年に恐怖政治を行なったことも事実だった。とはいえ、光宗が高麗王朝を強国にした立役者であったことは間違いない。そんな光宗をイ・ジュンギは、『麗<レイ>~花萌ゆる8人の皇子たち~』で華麗に演じたのである。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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