傑作時代劇『トンイ』でチ・ジニが演じている19代王・粛宗(スクチョン)。彼が13歳という幼き年齢で王位に就いたのは1674年のことである。国王として成長した後に、たくさんの政治的な業績を成し遂げた。
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農地の拡大に尽力し、商業を奨励して本格的な貨幣鋳造事業を行った。また、異民族の侵入が多い辺境地域にたくさんの城を築いて国防を強化した。
名君と言われても不思議がないほどの成果を見せたが、統治した時期が朝鮮王朝でもっとも党争が激しかったことが不運だった。当時、官僚たちは徒党を組んで徹底的に敵対勢力を攻撃した。その中で激化したのが、儒教の礼論をめぐる応酬であった。
この礼論とは、冠婚葬祭をいかに厳格に守り継ぐかという問題であり、王族の葬儀や服喪の期間をどのように行うべきかが典型的な論点だった。故事や前例に基づく解釈は多様であり、その曖昧さが争いをより複雑で緊張感あふれるものへと変えていった。
各派閥は自らの正論を誇示し、相手を打ち負かそうと声を張り上げた。その過程で当時の朝廷は、西人(ソイン)派と南人(ナミン)派という二大勢力に分裂していた。
しかし、粛宗は単なる傍観者ではなかった。彼は巧みな観察者であり戦略家だった。西人派と南人派の動きを巧みに読み取り、時に両者の均衡を図るように官職を分け与え、時に一方に肩入れして他方を衰退させるという策を弄した。
その采配は、一見すると官僚たちを右往左往させる混乱を生んだが、実のところそれは王権を盤石に固めるための周到な布石であった。
粛宗の治世は、党争の渦を逆手に取り、国王としての権威をより強固にする知恵と胆力によって支えられていた。すなわち、激しい争いの炎の中でこそ、彼の王権はゆるぎない輝きを放ったのである。
振り返ってみても、粛宗は本当にしたたかな国王だった。朝鮮王朝には合計で27人の国王がいたが、口うるさい官僚たちを手玉に取ったという意味で彼は老練すぎる策士であった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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