史実で読み解く『トンイ』⑪チャン・ヒビン兄はどれだけ悪評を受けていたのか

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時代劇『トンイ』では、仁顕(イニョン)王后(演者パク・ハソン)が廃妃になって張禧嬪(チャン・ヒビン/演者イ・ソヨン)が代わって王妃に昇格した様子が描かれていた。史実を詳しくみると、王妃になった張禧嬪が一番あせっていたのは、早く長男を世子 (セジャ)にしたいということだった。

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それは彼女の究極の目的であった。一介の女官だった張禧嬪はついに頂点に立ったが、さらに欲望が深くなった。自分が産んだ長男が世子になれば、ゆくゆくは国王に即位できる。そうすると自分は大妃(テビ)になるのだ。まさに、王室最高の名誉である。

そのためには何としても長男を世子にしなければならない。張禧嬪は自分の大望を果たすために最大限の策略をめぐらせた。それは自分を支持する南人(ナミン)派を動かすことだった。その企みが成功し、ついに1690年に張禧嬪の長男が一気に世子として冊封された。

世子となれば王朝のナンバー2である。専門の東宮(トングン)という官庁も作られる。まだ2歳だったが、立場は盤石になった。

同時に、張禧嬪の兄である張希載(チャン・ヒジェ/演者キム・ユソク)もどんどん出世していった。彼は訓錬大将に昇格した。これは異例の大出世であった。こうなると、言動に気をつければいいのだが、張希載はそういう男ではなかった。高慢に振る舞い、王宮での評判が最悪だった。

『トンイ』
王室の評判を落とした張禧嬪と張希載

王宮の中での嫌われ者

それでなくとも、周囲は張希載をコネで出世したとみなしている。言動を自重していればまだ良かったのだが、彼は図に乗るばかりであった。それは張禧嬪も同じだった。彼女は王妃になってからも贅沢を尽くし、女官に対して厳しく当たった。こうして張禧嬪と張希載は王宮の中で嫌われ者となった。

庶民たちもそんな2人を冷たく見ていた。

「王室もすっかり堕落してしまった」

そう嘆く人が多くなり、王室への尊敬も失われてしまった。このように、1690年ごろの王家はまさに暗黒時代に入っていたかもしれない。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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