朝鮮王朝で王妃でありながら存命中に廃妃(ペビ)になった女性を取り上げてみよう。有名なのは、19代王・粛宗(スクチョン)の時代の仁顕(イニョン)王后と張禧嬪(チャン・ヒビン)だ。2人は、気まぐれな粛宗によって廃妃にされてしまった。しかし、仁顕王后だけは再び王妃に復帰を果たしている。
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次に、理不尽な理由で廃妃になったのが11代王・中宗(チュンジョン)の妻の端敬(タンギョン)王后だ。
彼女は、クーデターによって廃位となった燕山君(ヨンサングン)の妻・慎氏(シンシ)の姪であり、父親も燕山君の側近だった。
それによって、クーデターを成功させた高官たちから警戒されて、廃妃に追い込まれた。彼女が王妃でいられたのは、わずか7日間だけだった。
一方、夫である国王が廃位となって王妃の身分を失った人が3人いる。
1人目は10代王・燕山君の妻の慎氏であり、2人目は15代王・光海君(クァンヘグン)の妻の柳氏(ユシ)である。
柳氏の場合、夫婦で江華島(カンファド)に流される途上の船で、柳氏は光海君に、「恥をさらすくらいなら、ここで死にましょう」と迫ったのだが、光海君は応じなかった。しかし、結局のところ柳氏は江華島で自害している。
そして、3人目は、6代王・端宗(タンジョン)の妻であった定順(チョンスン)王后である。端宗はわずか11歳で1452年に王位についたが、叔父の世祖(セジョ)によって強引に王位を奪われてしまい、廃位・流罪のあとに自決させられた。
この悲劇にともなって、定順王后も1455年に王妃から庶民に格下げになったのだが、そのとき彼女は15歳だった。しかも、王妃でいられたのは、わずか1年に過ぎなかった。
10代なかばで、王妃昇格と廃妃を味わうとは、どんなに辛い月日であったことか。
朝鮮王朝には42人の王妃がいたが、定順王后ほど10代で過酷な運命にさらされた王妃は他にいない。
そんな定順王后は廃妃になってからも66年も生き抜いて、1521年に息を引き取っている。享年は81歳であった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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