オリンピックの放送があった関係で、NHK総合テレビで毎週日曜日の午後11時から放送されていた『ヘチ 王座への道』は、三週間も休んでいた。放送が再開したのは1カ月ぶりなので、前回までのストーリーを忘れてしまった人もいるに違いない。
8月15日に第22話が放送されるので、ここまでの展開をおさらいしておこう。
苦難の末に21代王として即位した英祖(ヨンジョ)は、民衆のための政治を行なおうと決意を新たにしていたのだが、不運にも反乱が起きてしまう。
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首謀者は李麟佐(イ・インジャ)だった。そして、同調していたのが密豊君(ミルプングン)で、彼はドラマの当初から王座を狙って悪事を重ねていたが、終盤になってもしぶとく生き残って、再び英祖を倒そうとしていた。
そして、第22話は李麟佐が起こした反乱に立ち向かう英祖や家臣たちの奮闘ぶりが描かれるが、どこまでが史実でどこまでがフィクションなのかを説明しよう。
まずは密豊君について。
彼は昭顕(ソヒョン)世子のひ孫だ。昭顕世子というのは、清の人質から解放されて1645年に朝鮮王朝に戻った直後に急死した人で、息子を憎んでいた父親の仁祖(インジョ)が毒殺したと疑われている。
そんな昭顕世子のひ孫である密豊君だが、『ヘチ 王座への道』での彼の悪事は史実とは言えない。また、密豊君が李麟佐に同調して反乱に加わるというのも歴史的事実になっていない。
実際、密豊君はドラマの中で最後まで情けない悪人になっているが、それは作られたキャラクターだと考えたほうがよさそうだ。
一方、反乱の首謀者である李麟佐は歴史上の実在人物で、ドラマで描かれている反乱も史実に基づいている。
この反乱に対して英祖とその家臣たちはどのように対処していったのか。そのあたりは『ヘチ 王座への道』を通して反乱の様子を見てください。
反乱の勃発は英祖にとって大きな試練だったが、それを乗り越えて彼は王位を安定的に導いていくのである。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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