『ヘチ 王座への道』を見ていると、チョン・イルが演じる英祖(ヨンジョ)が、本当に苦難の末に国王に即位したことがよくわかる。
物語の最初を振り返ってみると、英祖は王子でありながら母親の身分が低いという理由で王族の中で不当に差別されていた。
特に、昭顕(ソヒョン)世子のひ孫であった密豊君(ミルプングン)は、英祖を目の敵にして、ひどい悪事を働いて英祖を苦しめた。
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そんな中でも、父親の粛宗(スクチョン)は息子の英祖の才能を高く買っていて、国王になる資格が十分にあるとわかっていた。
そんな理解者であった粛宗は急死してしまい、英祖の異母兄であった景宗(キョンジョン)が即位した。歴史的に言うと、それは1720年のことだった。
景宗は決断力がある国王ではなかったが、決して英祖を嫌っていたわけではない。もともと優しい性格なのである。
しかし、当時は派閥の争いが激化しており、英祖は特に、景宗を支持していた少論派によって徹底的に糾弾された。
景宗に子供がいないこともあって、英祖は「国王の正式な後継者となる弟」を意味する世弟(セジェ)の身分を得ていた。しかし、少論派の強硬な反対によって、世弟の資格を何度も剥奪されそうになった。
このときは、英祖も耐えに耐えた。ドラマでも英祖は捏造事件に巻き込まれるが、辛抱を重ねて疑惑を晴らしていった。
こうした努力が実を結び、景宗が急死したあとに英祖はついに王座までのぼりつめることができた。それは、1724年のことであった。
このときも、「景宗を毒殺したのは英祖だ」という噂が宮中で広まったのだが、英祖は同志の協力を得ながら毒殺説を否定することができた。
それでも、即位まもない英祖には、強力な宿敵がいた。それが、悪事をさんざん働きながらしぶとく生き残った密豊君であり、反乱を準備していたイ・インジャ(李麟佐)であった。
『ヘチ 王座への道』はここからが本当に面白くなる。最大の敵に向かって英祖はどう立ち向かっていくのか。ドラマはいよいよヤマ場を迎える。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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