『ヘチ 王座への道』を見ていると、チョン・イルが演じた英祖(ヨンジョ)は、苦難の末に王位についても、さらなる苦難に見舞われる。
特に、大規模な反乱が起きてしまうのだが、そうした反乱の首謀者になったのが李麟佐(イ・インジャ)であった。『ヘチ 王座への道』では、この李麟佐を俳優のコ・ジュウォンが演じていた。
それでは、歴史上で李麟佐の足跡をたどってみよう。
まず、当時の時代背景から説明していく。
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英祖が1724年に即位したとき、様々な良からぬ噂が流れた。たとえば、英祖が兄の景宗(キョンジョン)を毒殺して王位に就いた、と盛んに言われたりしたのだ。
その結果、英祖の対抗勢力だった少論派は「英祖が景宗を毒殺した」と猛反発した。そんな少論派と巧みに結びついて1728年に反乱を起こしたのが李麟佐なのである。
彼は清州(チョンジュ/都から東南側に130キロ離れた都市)をよく知っていたので、手始めに同志と一緒に清州城を攻めて占領した。
その占領に大成功した李麟佐は自分から「大元帥」と称した。
さらに、「景宗様の復讐だ」という大義名分を大きく掲げた。
そして、景宗の位牌をわざと用意して拝み続けた。
「義は我らにある」
そう叫んで、さらに仲間を集めたのだ。
勢いを増した李麟佐の軍は、次に都をめざした。
大義名分を大々的に示して颯爽と北上し、怒涛の勢いで都に近づいていった。
しかし、勢いはそこまでだった。
結局は、王朝軍に大敗を喫して、李麟佐は処刑された。
この事件は、歴史的に「李麟佐の乱」と称された。
英祖にとっては、即位後に見舞われた大ピンチであったが、なんとか鎮圧することで王位を守ることができた。
それからは、英祖も安定した政治運営を行なうことが可能になった。いわば、「李麟佐の乱」を鎮圧できたことで、英祖の王政が強まる結果を生んだのである。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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