時代劇『トンイ』で劇的に王妃に戻った仁顕(イニョン)王后(演者パク・ハソン)。「朝鮮王朝実録」の記述を手がかりに、仁顕王后が復位したのちの出来事を追ってみよう。
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1694年以降、粛宗(スクチョン/演者チ・ジニ)が最も頻繁に足を運んだのは、柔らかな微笑みをたたえた側室の淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ/トンイのモデル)の部屋であった。
その姿を目にするたび、張禧嬪(チャン・ヒビン/演者イ・ソヨン)の胸には暗い炎が燃え広がった。嫉妬という鋭い棘は容赦なく彼女の心を刺した。
張禧嬪は忠実な女官たちに命じ、淑嬪・崔氏を昼夜なく見張らせた。王宮から追い出すための口実を作るためであった。やがてその憎悪は、仁顕王后への露骨な嫌がらせへと向かう。
復位したばかりの仁顕王后は、相変わらず心が優しく、争いを好まない穏やかな性格だった。張禧嬪はその弱さをあざ笑うかのように、ことあるごとに辛辣な態度を示した。
最も露骨だったのは呼び方である。本来ならば王妃を呼ぶ際には、側室も女官も一様に「中殿(チュンジョン)」と敬意をもって称さねばならなかった。
しかし張禧嬪はわざと「閔氏(ミンシ)」と呼び捨てにし、その声には侮蔑の影が漂っていた。敬称を欠く行為は、王宮においては許されない無礼そのものであった。
さらに張禧嬪の嫌がらせは日増しに苛烈さを増す。女官に命じて仁顕王后の寝殿の窓に小さな穴を開けさせ、こっそり覗かせたうえで、それをあえて周囲に吹聴させたのである。王妃を笑いものにしようとするその卑劣な企みは、宮廷に暗い波紋を広げた。
ここまで張禧嬪が仁顕王后を愚弄したのは、王妃という地位への未練と執着があまりに強すぎたためであった。すでに粛宗の寵愛を失っているにもかかわらず、張禧嬪は悪あがきをやめなかった。その執念はむしろ逆効果となり、王宮内での悪評がさらに多くなった。
粛宗の心もまた揺れ動いた。「あまりに傲慢な女だ」と内心で呟きながらも、彼は張禧嬪に苛烈な処分を下さなかった。張禧嬪は世子の母であり、その血筋を尊重せざるを得なかったからである。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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