金万徳(キム・マンドク)の名は、風と波の狭間に咲いた一輪の花のごとく、済州島の歴史に優美に刻まれている。2010年にKBSで放送されたドラマ『キム・マンドク~美しき伝説の商人』にて、イ・ミヨンが演じたことで広く知られるが、史実の金万徳はどんな生涯を歩んだのだろうか。
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1724年、朝鮮王朝第21代王・英祖(ヨンジョ)の治世に、金万徳は済州島に生まれた。四方を荒々しい海に囲まれ、潮風が肌を刺すこの孤島は、美しい自然に恵まれながらも、米の育たぬ痩せた大地に苦しむ地であった。島民は海産物や特産品を船に載せ、本土と物々交換をして暮らしを支えていたが、済州海峡は命を奪うほどに荒れ狂うことで知られ、幾多の船が波間に消えた。
そんな過酷な環境のなか、金万徳は幼いながらも家族の愛に包まれ、慎ましくも幸せな日々を送っていた。しかし11歳の秋、運命は残酷な一振りの刃のごとく彼女を打つ。商談に赴いた父の船が海に呑まれ、そのまま帰らぬ人となったのである。
しかも父は家族の全財産をその航海に投じ、返済不能の借金を残していた。追い打ちをかけるように、母も深い悲しみに病み伏し、ついには命を落とす。
孤児となった金万徳は、幼い弟と共に貧しさにあえぎながら、島の家々を回って食を乞う日々を余儀なくされた。やがて姉弟は別々の裕福な家に奉公へと出され、互いに引き離される。
だが、金万徳はただ華やかさに身を委ねるだけの女ではなかった。妓生として接した上流階級の会話から、“鹿の角”が高価な漢方薬として珍重されていることを知ると、彼女の内に眠る商才が目を覚ます。
密かに資金を貯め、離れていた弟を呼び戻し、希少な薬材を扱う商売を始めたのである。その努力と機転が実を結び、金万徳は瞬く間に巨万の富を築き上げた。
成功を手にしても、彼女の心は常に弱き者たちと共にあった。1802年、巨大な台風が島を襲い、農作物は壊滅し、人々は飢餓に瀕する。
国からの援助も届かぬ中、彼女はすべての財産をなげうって本土へ渡り、膨大な米を買い集めて無償で配った。彼女の慈悲と勇気は、島民の命を救い、済州島全体を破滅の縁から救ったのである。
この奇跡は王朝にも届き、22代王・正祖(チョンジョ)は「望みをすべて叶えよ」と命じたが彼女は「当然のことをしたまで」と静かに辞退し、ただ1つ、「ソウルの街を歩き、金剛山の峰々をこの目で見たい」と願った。
当時、済州島の女性が首都を訪れることは禁じられていたが、王は特例を許し、彼女はその旅を成し遂げる。
その後も、彼女は穏やかな晩年を送り、民に慕われながら1812年に静かに人生を閉じた。
いまなお済州島には“犬のように儲け、万徳のように使う”ということわざが残り、彼女の名を讃えている。金万徳の生涯とは、試練を愛に変え、富を慈悲に変えた、美しく力強い魂の軌跡であった。
【金万徳(キム・マンドク)の人物データ】
生没年
1724年~1812年
主な登場作品()内は演じている俳優
『キム・マンドク~美しき伝説の商人』(イ・ミヨン)
文=大地 康
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