女性遍歴が派手だった粛宗の祖父と父はどんな国王だったのか

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朝鮮王朝の27人の国王の中で、とにかく派手な存在だったのが朝鮮王朝第19代王・粛宗(スクチョン)だった。彼は4回結婚している。これは、国王の中で一番多かった。それだけ女性遍歴が目立っていたのだ。

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そうなると気になるのは、粛宗の祖父と父はどのような人物であったのかということだ。そこで、祖父の17代王・孝宗(ヒョジョン)と父の18代王・顕宗(ヒョンジョン)の人物像を見てみよう。

孝宗は仁祖(インジョ)の次男として生まれ、1649年に即位した。彼の治世は10年に及んだが、歴史に残るような偉業はない。しかし、孝宗は亡き父を深く敬愛しており、父を辱めた中国大陸の清に対し強い憎しみを抱いていた。さらには、復讐を果たしたいという執念を常に持ち続けた。

孝宗自身も、かつて清の人質として屈辱の日々を過ごした過去があった。その経験が、彼の心に消えることのない復讐心を刻み込んでいたのだ。

彼は無理を承知で軍備を増強し、清に攻め込む機会を虎視眈々と狙っていた。しかし、その軍拡政策が財政を圧迫し、結局は戦を起こすことすら叶わぬまま、40歳でその生涯を閉じた。

『トンイ』の粛宗
時代劇『トンイ』ではチ・ジニが粛宗を演じていた

政治的な指導力を発揮

彼の後を継いだのが長男の顕宗である。顕宗は政治に意欲を見せたものの、当時の朝廷は党争の嵐に飲み込まれていた。西人(ソイン)派が主導権を握る中、南人(ナミン)派も次第に勢力を増し、両派が鋭く対立した。

顕宗もまた、この果てしない党争に翻弄された。彼はわずか33歳で世を去ったが、その死の背景には極度の心労があったと言われている。結局、顕宗も王として目立った業績を残すことはできなかった。 

このように、粛宗の祖父と父は国王としてパッとしなかった。一方の粛宗は大変な政治的な指導力を発揮している。まさに彼の時代は、祖父と父が果たせなかった試練を引き継ぐ形で幕を開け、若き国王が十分な成果をあげたと言える。その代わり、王宮において女性問題でトラブルをたくさん起こしてしまったのだが……。

文=大地 康

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