【王の歴史】清の討伐を果たせないまま亡くなった17代王の生涯に注目!

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17代王・孝宗(ヒョジョン)が登場する時代劇には、『馬医』や『チュノ~推奴~』『花たちの戦い-宮廷残酷史-』などがあるが、史実ではどんな生涯を過ごしたのだろうか。

孝宗は16代王・仁祖(インジョ)の二男として1619年に生まれた。王になる前は鳳林大君(ポンリムデグン)と呼ばれていた。

彼の父親である仁祖は、15代王の光海君(クァンヘグン)を追放して王となるも、失敗続きで王朝を衰退させ、清との戦いに完敗するという失態も犯している。

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それによって鳳林大君は、兄の昭顕世子(ソヒョンセジャ)と三男の麟坪大君(インピョンデグン)と一緒に人質として清に連れていかれてしまった。

幼かった麟坪大君はすぐに解放されるも、昭顕世子と鳳林大君が解放されたのは人質となってから8年後の1645年だった。

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目的を果たせなかった孝宗

鳳林大君は、清の内部事情を把握したり、明(ミン)が滅亡する様子を目撃するなどしているのに対し、兄の昭顕世子はすっかり清で見た西洋文化の魅力にハマってしまった。

その昭顕世子は帰国してから2か月後に突然世を去ってしまった。その原因として、父親である仁祖に毒殺された可能性がある。

本来なら二男である鳳林大君は王になることができなかったが、長男である昭顕世子が世を去ったことで、1645年9月に世子(セジャ)となり、1649年9月に17代王・孝宗として即位する。

王となった後の孝宗は、親清派の者を追放して反清派を重用したり、朝鮮の軍事力を強化するなど、清討伐の準備を進めていった。

しかし、清も勢力を強めていたこともあって討伐チャンスはなかなか訪れなかったうえに、朝鮮王朝は1658年に清の強請を受けたことでロシアの征伐に赴くことになった。

結果として、孝宗は清討伐の目的を果たせぬまま1659年に世を去った。

以上のように悔しい思いをした孝宗だが、彼が強化した軍事力は、以降の朝鮮王朝に安定をもたらす基盤となった。

文=大地 康

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