イ・ビョンフン監督といえば、「韓国ドラマの巨匠」と呼ばれており、今までに『宮廷女官チャングムの誓い』『イ・サン』『トンイ』といった傑作時代劇をたくさん制作している。とにかく、イ・ビョンフン監督は朝鮮王朝の歴史を詳しく記した「朝鮮王朝実録」をよく読んでおり、歴史上の人物にも大変詳しい。
そんなイ・ビョンフン監督が『トンイ』を大ヒットさせたあとで、次の作品に取り掛かって、いろいろと企画で迷ってしまった。
実は『馬医』のように馬の獣医から出世して国王の主人公になる物語は、脚本の段階でかなり強い候補になっていた。
しかし、当のイ・ビョンフン監督自身が馬の獣医というテーマに乗り切れなかった。というのは、彼は今までに医療を主題にした時代劇を何本も作っており、題材がマンネリになるのを危惧していたのだ。
それよりも、イ・ビョンフン監督が強く関心を持っていたのが昭顕世子(ソヒョンセジャ)であった。
彼は朝鮮王朝が中国大陸の清に1637年に屈服したとき、そのまま清に連行されて人質になった。しかし、この軟禁生活が昭顕世子の人生観を変えた。彼は西洋の宣教師たちとも交流を重ねて、世界観を大きく広げたのである。そうしたスケールの大きな人生が時代劇の主人公にピッタリだとイ・ビョンフン監督は確信していた。
そして、具体的に連続ドラマで昭顕世子を主人公にしたときの展開まで幅広くイ・ビョンフン監督は考え抜いていた。
このままなら、イ・ビョンフン監督の新作時代劇の主人公は昭顕世子になるはずだった。しかし、最後になって、やはり断念せざるを得なくなった。
その理由は何なのか。
結局、昭顕世子は人質から解放されて朝鮮半島に帰ってきても、わずか2カ月で急死している。有力な説は、王位を奪われることを恐れた父親の仁祖(インジョ)が息子の昭顕世子を毒殺したというものだ。かなり信憑性がある毒殺説なのだ。
しかも、昭顕世子の妻や息子たちも命を奪われてしまった。つまり、昭顕世子の一家の最後はあまりに悲惨だったのである。
これでは、ドラマのクライマックスがとても暗いものになってしまう。それはぜひ避けたいと思って、イ・ビョンフン監督は昭顕世子を主人公にすることを見送った。
それによって、当初の『馬医』が『トンイ』の次の作品になった。しかし、イ・ビョンフン監督は昭顕世子を物語の第1話に登場させて、自分の願いも少し実現させている。とにかく『馬医』は、イ・ビョンフン監督の様々な夢が詰まったドラマなのである。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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