『馬医』でチョ・スンウが演じた白光炫(ペク・クァンヒョン)。獣医から御医(王の治療をする専属の医者)になった実在の人物だが、彼の詳しい人生を記録した史料はあまり残っていない。
ただ、『朝鮮王朝実録(チョソンワンジョクシルロク)』の『粛宗実録(スンジョンシルロク)』など、わずかな史料によると、白光炫は独学で鍼を学んだ人物とされている。はじめは馬や動物の病気を治療する獣医だったが、その技術を人体に応用することに成功。
特に腫瘍を治療する高い技術を持っていたことから、「神医(シニ)」と呼ばれた。白光炫は、王朝に召し抱えられた後に医官となり、顕宗(ヒョンジョン)やその母・仁宣王后(インソンワンフ)、第19代王・粛宗(スクチョン)の治療に成功している。
そのことから、朝鮮半島では鍼治療の創始者との呼び声が高い。白光炫は、1670年に顕宗の病気を完治させることに成功し、御医の称号を与えられている。ドラマと同様、白光炫の活躍の裏には、顕宗との切っても切れない縁があるのだ。
一方、第18代王・顕宗という人物は、ドラマ同様に王朝の党派争いの影響をもろに受けた王だった。
顕宗は、父・孝宗(ヒョジョン)が人質として中国・清に捕らわれていたときに、長男として生まれている。1651年に世子(セジャ=王位後継者)となり、1659年に王位に就いた。
その顕宗は即位するや否や、権臣たちの党派争いに巻きこまれることになる。そもそも顕宗の2代前の王・仁祖は、クーデターで政権を掌握した人物。顕宗が即位した時代は、そのクーデターで功労を建てた西人派(ソインパ)と、西人派への権力の偏向を防ぐために、仁祖自身が起用した南人派(ナミンパ)が互いに争っていたのだ。
どちらかに肩入れをすれば、王位が危うくなるかもしれないという状況で、顕宗は心労が絶えなかった。その悩み多き王の心と体の治療に携わったのが御医・白光炫だったのだ。
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