朝鮮王朝には518年間に歴代王が27人いた。当然ながら、誰もが朝鮮半島で生まれていると思うだろうが、たった1人だけ外国で生まれた王がいる。
果たして、それは誰だろうか。
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実は、18代王の顕宗(ヒョンジョン)である。彼は『馬医』にもよく登場するので、このドラマを見ている人にはおなじみの国王であろう。
それにしても、顕宗はなぜ外国で生まれなければならなかったのか。
話は1637年1月にさかのぼる。
朝鮮王朝は大国の清に攻められて屈辱的な大敗を喫した。在位していたのは16代の仁祖(インジョ)であり、謝罪をさせられたうえに、息子3人を人質に取られた。
こうして、王子3人は清の首都であった瀋陽に連れていかれた。
それから4年後の1641年に瀋陽で生まれたのが顕宗だった。
彼の父は鳳林(ポンニム)である。仁祖の次男だった。
世子になっていたのは兄の昭顕(ソヒョン)で、鳳林は王位を受け継げるはずではなかった。しかし、昭顕が1645年に朝鮮半島に戻った直後に急死してしまい、鳳林は兄に代わって世子になった。
そして、4年後に仁祖が亡くなったので、鳳林は18代王の孝宗(ヒョジョン)として即位した。
この孝宗はさしたる業績も残せないまま1659年に世を去った。その結果、外国で生まれた王子が18代王の顕宗になったのである。
顕宗の妻は明聖(ミョンソン)王后だ。夫婦仲がとても良かったと伝えられている。その証拠がある。なんと、顕宗は側室を持たなかったのである。
これは、異例中の異例であった。おそらく、側室を迎えなかった国王は顕宗だけだと思われる。
国王夫妻は1男3女に恵まれた。幸せのはずだったのに、顕宗は1674年に33歳の若さで亡くなってしまった。
王位は長男が受け継いだ。それが、19代王の粛宗(スクチョン)であり、『トンイ』をはじめとして韓国時代劇にはおなじみの国王だ。
地味だった顕宗は、今では、派手だった粛宗の父親としてよく記憶されている。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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