現代韓国にも大きな影響を及ぼしている/朝鮮王朝の仏教と儒教

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高麗王朝では仏教が重んじられていた。初代王の王建(ワン・ゴン)は遺訓の中で「仏教の重視」を最初に言い残しており、歴代王も忠実に守ったので、高麗王朝時代に朝鮮半島で仏教が大いに栄えた。仏教は、民衆の心の拠り所として重要な役割を果たしたのだが、政治的な弊害もあった。仏教寺院が広大な土地を私有して僧侶の力が強くなりすぎたのだ。

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「崇儒排仏」とはどんな意味なのか

高麗王朝時代には僧侶が政治に介入して大きな混乱を招いた。それが、高麗王朝衰退の要因の1つにもなった。その高麗王朝を滅ぼして新たに建国された朝鮮王朝では、仏教を排斥して儒教を国教に定めた。それが「崇儒排仏」である。儒教を崇拝して仏教を抑える、という意味だ。それは、庶民生活にも大きな影響を及ぼす一大変革であった。

朝鮮王朝で儒教が生活規範に取り入れられてから、先祖崇拝とそれに伴う冠婚葬祭が重視された。特に祖父母や両親が亡くなったときの服喪期間の厳守が徹底された。

さらに、儒教には人間の序列を容認する思想があり、身分制度が厳格になっていった。朝鮮王朝では「人間が生まれながれにして不平等」だったのである。特に、身分制度の上位に位置づけられた両班(ヤンバン/貴族階級)が民衆の上に君臨した。

儒教社会になって男尊女卑の風潮も強まった。女性は制度的にも多くの不利をこうむってしまった。逆に、官僚は大いに恵まれた。科挙に合格して官職を得た男性たちは、身分制度に守られて特別な権利を享受した。

その一方で、特権階級から没落したのが仏教の僧侶たちである。彼らは最下層の身分に落とされた。しかも、仏教寺院は市中から追放されて山中で細々と残った。現在も韓国で仏教寺院の多くが山中にあるのは、当時の名残である。

食生活の面では、肉食が一般化するようになった。高麗王朝時代は殺生を禁じる仏教が盛んだったので、朝鮮半島でも肉食が広く浸透しなかったが、仏教の衰退にともなって肉食が解禁となった。今の韓国で肉料理が多いのは、朝鮮王朝が「崇儒排仏」を徹底したことが大きく関係している。

作成=康 熙奉(カン・ヒボン)

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