518年間の重要な事件がわかる/朝鮮王朝の年表

このエントリーをはてなブックマークに追加

朝鮮王朝は1392年に始まり、1910年の日韓併合によって滅亡している。518年にわたる長寿王朝だったのである。

ここまで長く王朝が続いたのは、国王を中心とする中央集権体制が完璧に整備されていたからだ。また、内乱が少なかったことも幸いした。

さらに、朝鮮王朝は儒教を国教にして、「忠」と「孝」を重んじる価値観によって民衆を統治していった。人々が共通認識を持ったことが大きかった。

【関連】【本当は怖い⁉】名君イ・サンのゾッとするような「裏の顔」とは?

1392年 李成桂(イ・ソンゲ)は高麗王朝を滅ぼして新しい王朝を創設。
1393年 中国大陸の明の許可も得て、国号が朝鮮(チョソン)となる。
1394年 朝鮮王朝が都を漢陽(ハニャン/現在のソウル)に移す。
1398年 王子たちが王位継承権をめぐって争い、五男の芳遠(バンウォン)が実権を握る。
1400年 最高実力者の芳遠が3代王の太宗(テジョン)として即位する。
1418年 朝鮮王朝最高の名君とされる世宗(セジョン)が即位する。
1443年 訓民正音(ハングル)が創製され、1446年に公布される。
1450年 国内統治に手腕を発揮した世宗が亡くなり、王位継承問題が不安定になる。
1455年 6代王の端宗(タンジョン)の叔父が王位を奪取。7代王の世祖(セジョ)となる。
1456年 端宗の王位復権をめざした忠臣たちが処刑される。彼らは「死六臣」と呼ばれた。
1494年 朝鮮王朝最悪の暴君、燕山君(ヨンサングン)が即位。
1506年 国内を混乱させた燕山君が追放処分。11代王の中宗(チュンジョン)が即位。
1551年 良妻賢母の鑑とされる申師任堂(シンサイムダン)が亡くなる。
1592年 壬辰倭乱(イムジンウェラン/日本でいえば文禄の役)が起こる。
1598年 豊臣軍が朝鮮半島から撤退し、6年にわたった戦火がやむ。
1607年 朝鮮王朝と徳川幕府が国交を回復。第1回目の朝鮮通信使が来日。
1610年 名医として著名な許浚(ホジュン)が医学書「東医宝鑑」を完成。
1623年 クーデターが起こり15代王の光海君(クァンヘグン)が廃位になる。
1636年 清の攻撃を受け、16代王の仁祖(インジョ)に翌年1月に屈辱的な謝罪をする。
1645年 清で人質になっていた仁祖の長男の昭顕(ソヒョン)世子が帰国。すぐに急死する。
1674年 19代王の粛宗(スクチョン)が即位。王権の強化に乗り出す。
1701年 悪女として有名な張禧嬪(チャン・ヒビン)が死罪になる。
1724年 21代王の英祖(ヨンジョ)が即位。人材を登用して善政を行う。
1762年 英祖の息子だった思悼(サド)世子が餓死する悲劇が起こる。
1776年 朝鮮王朝後期の名君の正祖(チョンジョ)が即位する。
1800年 正祖が亡くなり、朝鮮半島は混乱の時代を迎える。
1839年 キリスト教徒に対する弾圧が強まる。
1865年 正宮の景福宮(キョンボッククン)の再建工事が始まる。
1866年 アメリカやフランスなどからの外圧が強まる。
1876年 江華条約(日朝修好条規)が結ばれ、鎖国だった朝鮮王朝が開国。
1894年 国内が混乱。東学党の乱(甲午農民戦争)が起こる。
1895年 王妃の閔氏(ミンシ)が暗殺される。
1897年 国号を大韓帝国に改め、国王を皇帝と称するようになった。
1910年 日韓併合により518年続いた朝鮮王朝が終わる。

作成=康 熙奉(カン・ヒボン)

【究極セレクション】過去20年で最高級の評価を得た韓国時代劇ベスト5!

【トンイの真実】年表でわかる史実と創作のズレ。トンイの最初の子供も実は…

【韓ドラになった歴史人】朝鮮王朝三大悪女と言われる張緑水の波乱万丈の人生

前へ

1 / 1

次へ

関連記事


RANKINGアクセスランキング

写真


注目記事