『となりのMr.パーフェクト』のチョン・ヘイン!教科書に載る先祖は何者?

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Netflixで配信されると一気に大人気となった『となりのMr.パーフェクト』。チョン・ヘインとチョン・ソミンが幼なじみの役に扮して、絶妙な「にぎやかカップル」を演じている。

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このドラマでさらにチョン・ヘインの魅力がクローズアップされているが、彼は名門一族の出身である。というのは、6代上の先祖が韓国の教科書で偉人として紹介されている丁若鏞(チョン・ヤギョン)なのである。

この人物はどれほど凄いのか。朝鮮王朝には博学な人がたくさん輩出しているが、その中でも突出して名著をたくさん作りだした「知の巨人」が丁若鏞だ。

彼は、1762年に生まれ、1789年に科挙に合格した。以後、官僚として出世し、実学で様々な成果を出したが、キリスト教徒を弾圧した1801年の「辛酉(イニュ)迫害」によって流罪となり長い配流生活を送った。いわば「辛酉迫害」によって丁若鏞の人生が激変したが、この事件の背景を解説しよう。

22代王・正祖(チョンジョ)が1800年に亡くなったあと、正祖の長男だった純祖(スンジョ)が即位したが、10歳という未成年だったので、王族最長老の女性が摂政を行った。その女性が、英祖(ヨンジョ)の二番目の正室だった貞純(チョンスン)王妃である。

チョン・ヘイン
トップ俳優として活躍しているチョン・ヘイン(写真=OSEN)

思想・実学の両方で活躍

彼女と対立する派閥の高官には天主教(カトリック)を信仰する人が多かった。そこで、貞純王妃は天主教を徹底的に弾圧するようになり、多くの人が処刑されたり流罪になったりした。これが1801年の「辛酉迫害」である。

チョン・ヘインの先祖である丁若鏞もなんの罪もないのに迫害を受けるようになり、全羅道(チョルラド)に流罪となった。それは18年間に及んだ。官僚として大出世をしていた丁若鏞は一転して罪人として監視生活に置かれたが、その間に彼は『牧民心書』などの不朽の名著を世に残した。

そして、流罪を解かれた後は思想・実学の両方ですばらしい活躍をして1836年に世を去っている。

そんな丁若鏞の6代あとの子孫がチョン・ヘインなのである。彼は常に先祖を誇りに思っていたことだろう。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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