テレビ東京の韓流プレミアで放送されている『宮廷女官チャングムの誓い』。イ・ヨンエが主人公のチャングムを演じている同作で、イム・ホが朝鮮王朝第11代王・中宗(チュンジョン)に扮している。
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8月27日に放送された第50話では、中宗が医女のチャングムを自分の主治医にすると命じて、宮中に大きな波紋を呼ぶ様子が描かれていた。
11代王・中宗(チュンジョン)は本当に「不思議な国王」で、国王としてはたいした業績がなく、むしろ失政が多かった。
そんな中宗の人物像を調べていくと、興味深い事実が出てくる。それは、子供の数がとても多かったということだ。
中宗は三度結婚している。最初の端敬(タンギョン)王后は廃妃にされていて、二番目の章敬(チャンギョン)王后は王子を出産後に亡くなってしまい、三番目が悪女で名高い文定(ムンジョン)王后だった。この3人の王妃が産んだ子供は果たして何人であっただろうか。
実は、端敬王后は子供がおらず、章敬王后は一男一女、文定王后は一男四女だった。合計すると、王妃が産んだ子供は、王子が2人で王女が5人だった。
それでは、中宗の場合、側室は何人の子供を産んでいるのだろうか。
記録に残っている側室は、全部で9人だった。
この9人という側室の数は、中宗が生きていた16世紀の朝鮮王朝では平均的だった。17世紀以降になると、側室の数はグッと減ってくるのだが、16世紀なら国王の側室は10人ほどいるのが普通だったのである。
そうした中宗の側室が産んだ子供の数は合計で13人だ。王子が7人で王女が6人であった。
この13人の中で、後に大変な重要人物になる王子がいた。それが、昌嬪・安氏(チャンビン・アンシ)が産んだ徳興君(トックングン)である。
彼の何が重要なのか。
それは、徳興君が14代王・宣祖(ソンジョ)の父親になったからだ。
実は、12代王・仁宗(インジョン)と13代王・明宗(ミョンジョン)は共に中宗の息子だが、2人とも息子がいなかった。それで、明宗が亡くなったときに後継者がいなくなり、王朝は重大な危機に陥った。その結果、側室から産まれた徳興君の息子が選ばれて宣祖になったのである。
このように、中宗は自分の死後、2人の息子と1人の孫を国王にしている。王朝の後継者問題では、大いに貢献した国王なのだ。
『宮廷女官チャングムの誓い』では、「ダメ国王」ではなく立派な国王として描かれている中宗。その彼に扮して注目を集めているイム・ホの演技をぜひ最後まで堪能してほしい。
文=大地 康
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