【歴史解説】『太陽を抱く月』で描かれた呪詛はどれほど恐ろしかったのか

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テレビ東京で放送されている『太陽を抱く月』。第5話では、キム・ユジョンが演じるヨヌがせっかく世子嬪(セジャビン)になったのに、大妃の陰謀によって呪詛(じゅそ)を仕掛けられてしまい、父親の胸に抱かれて亡くなった。そのシーンは、涙なくしては見られないほど悲しい名場面であった。

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とはいえ、ヨヌは完全に死んだわけではなく、墓の中で生き返って巫女として新たな生命を得た。しかし、記憶喪失に陥っていて、大人になって再会したイ・フォン(国王になっていた)のことを覚えていない。そこが、ドラマの鍵を握るポイントになっていた。

こうした設定で重要な役目を果たしていた呪詛なのだが、韓国時代劇を見ていると、誰かを呪い殺すために呪詛をするシーンがよく出てくる。そこには、「朝鮮王朝時代には呪術的な儀式で人を呪い殺すことが可能だという観念が生きていた」という実態があった。

そもそも、朝鮮半島には昔から独特のシャーマニズムが根づいており、呪術的な儀式を受け入れる下地があった。この場合のシャーマニズムとは、シャーマン(霊的なものと直接的に通じる宗教的な霊能者)を介して神霊や死霊などと交渉する原始的な呪術や宗教現象を指している。

このシャーマンは巫堂(ムーダン)とも呼ばれた。巫堂は「神病」と呼ばれる宗教的な体験を通して神の霊感を獲得した人物とみなされていた。そして、シャーマニズムを信じる多くの人たちが、巫堂を頼って願いごとを託した。

太陽を抱く月
画像=MBC

シャーマニズムの影響

その願いは主に死者の霊を呼び戻すことであったのだが、さらに、特定な人物に対して「呪いをかけてほしい」と依頼する特殊な例もあった。その過程で、朝鮮王朝時代には王宮の中でも呪詛が行われてきたのだ。

こうした歴史をドラマの中に巧みに取り入れたのが『太陽を抱く月』であった。呪詛によって命を奪われたヨヌが生き返って巫女のウォルになる、という展開は、朝鮮王朝時代のシャーマニズムの影響の大きさを物語っている。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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