朝鮮王朝の王宮にはどれほど多くの女官がいたのだろうか。16世紀前半の11代王・中宗(チュンジョン)の頃には1000人ほどの女官がいたと推定されている。また、22代王・正祖(チョンジョ)のときは700人ほどの女官が奉職していた。こうした女官たちが高く評価していた王妃は誰であっただろうか。それは、仁顕王后(イニョンワンフ)と哲仁王后(チョリンワンフ)に違いない。
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1人目の仁顕王后は、19代王・粛宗(スクチョン)の正室である。
彼女は性格が素直で優しい女性だった。その一方で側室の張禧嬪(チャン・ヒビン)はあまりにわがままで、目上の仁顕王后すらいじめるような悪女であった。結局、粛宗は仁顕王后より張禧嬪を気に入り、1689年に仁顕王妃は廃妃となり、張禧嬪が王妃に昇格した。
しかし、張禧嬪が極端に欲張りすぎて粛宗の寵愛を失い、仁顕王后は1694年に王妃に復帰して張禧嬪が再び側室に降格になった。以後、仁顕王后は誰からも慕われたのだが、惜しくも1701年に34歳で亡くなってしまった。
時代劇『トンイ』では、パク・ハソンが仁顕王后を演じて、大いに人気を博していた。
2人目の哲仁王后は、25代王・哲宗(チョルジョン)の正室である。性格はおとなしくて謙虚であった。しかも、言葉が少なく悪口を言わなかった。それゆえ、女官の間でも好意的に見られていた。
哲仁王后は1858年に王子を産んでいるが、早世してしまったので、大妃(テビ/国王の母)になることはできなかった。哲宗は「酒好きで女好き」と言われて評判が良くなかったが、哲仁王后はそんな夫にも素直に従い続けた。1863年に哲宗が亡くなったあとも王宮で質素に暮らし、1878年に享年41歳で世を去った。
ドラマ『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』では、シン・ヘソンが哲仁王后に扮している。ただし、現代韓国の男性シェフがタイムスリップして魂が哲仁王后に入り込む、という設定だったので、彼女は男勝りの言動になっていた。そのギャップが本当にユニークだった。
文=大地 康
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