【役立つ歴史ダイジェスト】『太宗 イ・バンウォン』は高麗王朝の滅亡をどう描いたか

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テレビ東京で放送中の『太宗 イ・バンウォン~龍の国~』は、4月17日の第9話でついに高麗王朝が滅亡した。その経過はどのような状況だったのか。3つのポイントで王朝がつぶれる流れを追ってみよう。

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〔歴史ポイント1〕1388年、高麗王朝の大将軍であった李成桂(イ・ソンゲ)は、第32代の禑王(ウワン)から、領土争いがあった明への攻撃を命令された。李成桂は明への侵攻に反対だったが、仕方なく大軍を率いて出陣した。

しかし、朝鮮半島北部の鴨緑江(アムノッカン)の中流に位置する威化島(ウィファド)で前に進めなくなった。川が増水していたためだ。ここに至って李成桂はやはり明を攻めることはよくないと考え、引き返すことにした。しかも、攻撃目標にしたのが首都の開京(ケギョン)だった。これが「威化島回軍」だ。

〔歴史ポイント2〕李成桂は開京を制圧して高麗王朝最高の実権を握った。すかさず禑王を追放してしまい、その息子である昌王(チャンワン)を即位させた。そんな李成桂が信頼した腹心が、鄭道伝(チョン・ドジョン)と鄭夢周(チョン・モンジュ)だ。

鄭道伝は李成桂が新しい王朝を作ることに賛成していた。その逆に、鄭夢周は体制維持派として高麗王朝の存続を願っていたので、李成桂が新しい王朝を作ることに反対だった。

太宗イ・バンウォン~龍の国~
(写真提供=Monster Union)

初代王となった李成桂

〔歴史ポイント3〕1392年4月4日、落馬で重体に陥っていた李成桂が開京に戻った時、見舞いにきたのが鄭夢周だった。ここで2人はお互いの意見を調整することができなかった。その帰途、鄭夢周は李成桂の五男である李芳遠(イ・バンウォン)が送って来た刺客によって殺害された。

高麗王朝を1人で守り抜いてきた忠臣がいなくなり、ついに34代王・恭譲王(コンヤンワン)は廃位となった。こうして918年に建国された高麗王朝は1392年に滅亡し、新たに朝鮮王朝が建国されて李成桂が初代王となった。

全体を見ても、『太宗 イ・バンウォン~龍の国~』でチュ・サンウクが演じる李芳遠は、朝鮮王朝の建国に多大な貢献をしている。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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