【こんな仕打ちが許されるのか】端敬王后と仁顕王后はなぜ廃妃になったのか

2023年12月24日 歴史 #康熙奉コラム #写真
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朝鮮王朝は国王が絶対的な権力者として頂点に君臨している。その妻である王妃のほうはどのような立場であろうか。確かに「国母」として尊敬を集めるが、それでも安定した立場ではない。失態をおかせば廃妃にされる危険性をはらんでいる。

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たとえば、9代王の成宗(ソンジョン)の正室だった尹氏(ユンシ)は、あえなく廃妃になっている。彼女の場合は、成宗が気に入っていた側室を呪詛(じゅそ)したり、興奮して成宗の顔を引っ掻いたり……そんな不敬なことを仕出かして国王から離縁されて、最後は死罪にされた。

とはいえ、それは自業自得であった。自分が悪かったのだ。その一方で、自分は何も悪くないのに廃妃になった王妃がいる。それは果たして誰なのか。

1人目は中宗(チュンジョン)の正室だった端敬(タンギョン)王后だ。彼女の存在は、情熱的な愛と複雑な運命の狭間で揺れ動いていた。しかし、彼女の周囲には暗雲が立ち込めていた。彼女の父は、追放された燕山君(ヨンサングン)の側近であり、叔母は燕山君の正室であった。これらの事実が問題となった。

結局、燕山君を廃位に追い込んだ高官たちの強力な圧力により、端敬王后は廃妃の悲しい運命を辿ることになった。中宗も愛する妻を守れなかった。国王なのに頼りにならない男だった。

パク・ミニョンが演じた端敬王后とパク・ハソンが扮した仁顕王后

運命の荒波に翻弄された王妃

2人目は仁顕(イニョン)王后である。19代王・粛宗(スクチョン)の正室としてその座についていた彼女には、何の非もなかった。それにもかかわらず、寵愛する張禧嬪(チャン・ヒビン)を王妃にしたいという粛宗の思いが、仁顕王后を離縁へと追いやった。そして、張禧嬪が王妃の座を手に入れたが、運命は予測不可能なものである。

かつての王妃だった張禧嬪は粛宗に嫌われ、側室に落ちぶれ、仁顕王后は再び王妃として復帰することになった。すべては、粛宗の気まぐれが引き起こした廃妃騒動であり、その結果、仁顕王后は粛宗のせいで辛い経験をしなければならなかった。

端敬王后と仁顕王后……2人の女性は運命の荒波に翻弄されながらも、最後まで尊厳を保ち続けた。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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