【歴史コラム】『ポッサム』の重要な登場人物が光海君の兄の息子だったのか?

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チョン・イルが主演している『ポッサム~愛と運命を盗んだ男~』。テレビ東京の韓流プレミアで放送されているが、11月13日にオンエアされた第25話では、シン・ヒョンスが演じたイ・デヨプが臨海君の嫡流であることが明らかになった。

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この臨海君というのは、15代王・光海君(クァンヘグン)の実兄である。彼は無念のうちに死んでいるが、その背景について解説していこう。

14代王・宣祖(ソンジョ)は、朝鮮王朝で初めて側室から生まれた国王だ。そんな宣祖は自分の後継者は正室が産んだ息子にしたいと熱望していたが、宣祖の正室は当初、子供を産まなかった。そこで、側室が産んだ王子の中から世子を選んだ。

対象となったのは臨海君(イメグン)と光海君。2人とも同じ側室から生まれた兄弟で、臨海君が長男だ。普通なら臨海君が選ばれるのだが、性格に問題があったので、光海君を推す声が大きくなった。

1592年に朝鮮出兵が起こったときも、臨海君は加藤清正の軍の捕虜になってしまったが、光海君は地方で義勇軍を組織して戦功をあげた。こうした評価により、最終的に光海君が世子となった。

イ・デヨプは臨海君の嫡流?(写真=© MBN All rights reserved)

史実を巧みに生かしたストーリー

しかし、宣祖は嫡子の世継ぎにこだわっていた。最初の正室が世を去った後、彼は仁穆(インモク)王后を新たな正室に迎えた。彼女は1606年に宣祖の嫡子となる永昌大君(ヨンチャンデグン)を産み、宣祖はこの子を光海君と代えて世子にしようと願った。

ところが、宣祖は1608年に急死してしまった。仁穆王后は我が子を次の王にしたかったはずだが、永昌大君は2歳で言葉も話せなかったので、国王になるのは無理だった。

こうして光海君は1608年に15代王として即位した。その翌年に、光海君の側近は臨海君を殺害した。それによって、光海君の王位が安定したのは確かであった。

そういう歴史を踏まえたうえで、『ポッサム~愛と運命を盗んだ男~』ではイ・デヨプが「臨海君の嫡流」という設定になっていた。史実を巧みに生かしたストーリーと言えるだろう。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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