【歴代国王ランキング】「評判がとにかく悪い」という国王は誰なのか

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朝鮮王朝では518年間に27人の国王が統治した。その中には、世宗(セジョン)や正祖(チョンジョ)のように名君としてあまりに有名な国王がいれば、その反対に、「よくもこんなひどい国王がいたものだ」と周囲があきれた国王もいた。今回は、悪評にまみれた国王をランキング形式で5人選んでみよう。

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評判が悪い国王ランキング5位/25代王・哲宗(チョルジョン)

〔生没年1831~1863年/在位年1849~1863年〕
考えてみれば、この国王も田舎でのんびり暮らしていれば長生きできたかもしれない。王族と言っても元は江華島(カンファド)で農民をしていたのに、23代王・純祖(スンジョ)の正妻だった純元(スヌォン)王后の突然の指名によって18歳で国王になった。その結果、「お飾りの国王」として「操り人形」にならざるをえなかった。仕方なく、酒と色に溺れて早死にしてしまい、評判も台無しになってしまった。

評判が悪い国王ランキング4位/14代王・宣祖(ソンジョ)

〔生没年1552~1608年/在位年1567~1608年〕
朝鮮王朝の歴代王の中で最初に「側室が産んだ国王」になった人である。頭が良かったので能力的には問題がなかったが、在位した時期が不運だった。1592年に豊臣軍が攻めてきて、さんざん苦労させられた。その挙句、都が危なくなったときに、真っ先に逃げ出してしまい、民衆から「あまりに情けない国王だ」とさげすまれてしまった。

『七日の王妃』ではイ・ドンゴンが燕山君を演じた(Licensed by KBS Media Ltd. © 2017 KBS. All rights reserved
ドラマ『七日の王妃』より。DVD好評リリース中・U-NEXTにて見放題配信中)

評判が悪い国王ランキング3位/16代王・仁祖(インジョ)

〔生没年1595~1649年/在位年1623~1649年〕
1623年、用意周到にクーデターを仕掛けて、光海君(クァンヘグン)を王宮から追放して自ら即位した。ここまでは良かったのだが、国王になったら失政ばかりしていた。特に、1636年に清に攻められて降伏し、清の皇帝の前で頭を地面にこすりつけて謝罪した。これほどの屈辱を受けた国王は他には誰もいない。やはり、国王になってはいけない男だったのだ。

評判が悪い国王ランキング2位/7代王・世祖(セジョ)

〔生没年1417~1468年/在位年1455~1468年〕
政治的には「自分なら国王として立派にやれる」と自信を持っていた。しかし、性格があまりに悪かった。甥の端宗(タンジョン)を脅して王座を奪ってしまった。それだけではない。端宗を復位させようと動いた忠臣たちを惨殺し、端宗も死罪にした。「血が通った人間がやることではない」と庶民から言われ続けた。

評判が悪い国王ランキング1位/10代王・燕山君(ヨンサングン)

〔生没年1476~1506年/在位年 1494~1456年〕
朝鮮王朝としては、「こんな国王が生まれてしまって本当に恥ずかしい」という思いだろう。とにかく、常軌を逸した暴君だった。気に入らない家臣を虐殺し、側室の張緑水(チャン・ノクス)と一緒に「みだらな酒池肉林」を繰り返し、湯水のように金を使って王朝の財政を大ピンチに陥らせた。1506年にクーデターによって王宮を追われたのも当然であった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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