【田舎の青年から国王へ】哲宗は果たしてビックリ人事の犠牲になったのか

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大人気となった『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』というドラマは、青瓦台(大統領官邸)のシェフであったチャン・ボンファンの魂が、時を越えて朝鮮王朝の王妃キム・ソヨンの身体に宿るという笑えるフュージョン時代劇である。

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キム・ソヨンの名は、哲仁(チョリン)王后として歴史に刻まれており、その役どころをシン・ヘソンがユニークに演じた。また、王妃の夫となる哲宗(チョルジョン)の役は、キム・ジョンヒョンが熱演している。

哲宗は、歴史の深淵に隠れた謎めいた存在である。彼の歴史への初登場は1849年のことだった。その年、24代王である憲宗(ホンジョン)は、わずか22歳でこの世を去った。だが、彼には継ぐべき血を持つ子がいなかった。そこで、王室を掌握していた純元(スヌォン)王后(憲宗の祖母)が、18歳の元範(ウォンボム)を後継者として選んだのである。

この選択は、天地が逆転するかのような驚愕であった。なぜなら、元範は、遠い江華島(カンファド)の土地で、王族とはいえ田畑の仕事に従事していたからだ。そして、彼は深い学びを持っていなかった。その元範が、純元王后の手によって、国王としての運命を迎えることとなった。

絶対的な力を持つ純元王后に対抗する者はいなかった。その結果、元範は突然、田舎から都へと招かれ、25代王、哲宗(チョルジョン)として即位した。

『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』でキム・ジョンヒョンが哲宗を演じた(写真=© STUDIO DRAGON CORPORATION)

純元王后の巧妙な策略

しかし、知識を持たない者が王位についても、国の舵取りができるわけではない。純元王后の計略は、彼女の一族を王宮の中心へと引き寄せ、全ての権力を掌握するためのものだった。

そして、純元王后の巧妙な策略により、朝鮮王朝は彼女の手に落ちた。その中で、哲宗は国王としては巧みに統治できなかったが、贅沢な生活を存分に享受した。しかし、ツケがまわってきた。暴飲暴食で身体を壊してしまったのだ。その末に、1863年、32歳で息を引き取った。

哲宗があのまま田舎で農業をしていたら……。おそらく、質素な暮らしながらストレスがなく長生きしていたかもしれない。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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