518年間も続いた朝鮮王朝時代には王宮の中で奇怪な事件が何度も起こっているが、特に生々しい大罪事件になったのが呪詛(じゅそ)事件であった。呪詛は憎き相手を呪い殺すための儀式を意味している。手段としては、標的となる相手の部屋の近くに人骨や小動物の遺骸を埋めることが一番多かった。
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そうして埋めた物の上を相手が通ることによって、悪霊が憑りつくとされていた。あるいは、巫女を呼んで呪い殺すための祈祷を行なうという方法もあった。そこで、特徴的だった2つの事件を取り上げよう。
●呪詛事件その1/主犯は廃妃・尹氏
燕山君(ヨンサングン)の母として知られる尹氏(ユンシ)が1477年に起こした呪詛事件が衝撃的だった。彼女は成宗(ソンジョン)の妻であった王妃時代に、成宗に気に入られていた側室を呪い殺そうとした。とにかく、彼女はとても嫉妬深い性格だったのだ。
結局、呪詛事件が発覚して尹氏の部屋を調べると、人を呪うときに使われる呪術的な本がたくさん出てきた。証拠が揃ったことで、尹氏は最終的に王妃の座を追われている。
こうして彼女は、朝鮮王朝で初めて廃妃(ペビ)になるという不名誉を受けてしまった。それだけではなかった。尹氏は姑であった仁粋大妃(インステビ)に極端に嫌われてついに死罪になった。
●呪詛事件その2/主犯は張禧嬪
張禧嬪(チャン・ヒビン)は、1701年に粛宗(スクチョン)の正室であった仁顕(イニョン)王后を呪詛した罪で死罪になっている。告発された罪状によると、張禧嬪は仁顕王后の部屋の近くに呪詛物を埋めたり、巫女を呼んで仁顕王后を呪い殺すための祈祷を行なったとされている。
本当に張禧嬪が呪詛を行なったという確証はなかったのだが、ドラマ『トンイ』で主人公のモデルになった淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)の強い告発が決め手になった。しかも、実際に仁顕王后は命を落としている。それによって、張禧嬪は最終的に罪に問われて死罪になってしまった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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