呪詛(じゅそ)というのは、自分が標的にした相手を呪い殺すための儀式を意味している。
その儀式とはどんなことを行なうかというと、相手の部屋の近くに人骨や小動物の遺骸を埋めることが一番多かった。そうして埋めた物の上を相手が通ることによって、悪霊が憑りつくとされていた。
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あるいは、巫女を呼んで呪い殺すための祈祷を行なうというのもよく使われた手段だった。
朝鮮王朝時代には憎い相手を本当に呪い殺せると思っていたので、呪詛を行なうと大きな罪になった。
一番有名なのは張禧嬪(チャン・ヒビン)だ。
彼女は、1701年に粛宗の正室であった仁顕(イニョン)王后を呪詛した罪で死罪になっている。告発された罪状によると、張禧嬪は仁顕王后の部屋の近くに呪詛物を埋めたり、巫女を呼んで仁顕王后を呪い殺すための祈祷を行なったとされている。
本当に張禧嬪が呪詛を行なったという確証はなかったのだが、『トンイ』でも主人公になった淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)の強い告発が決め手になった。しかも、実際に仁顕王后は命を落としている。それによって、張禧嬪は最終的に罪に問われて自害せざるをえなかった。
この出来事が、朝鮮王朝の呪詛事件では一番有名である。
他にも重要な呪詛事件があった。それは、燕山君(ヨンサングン)の母として知られる尹氏(ユンシ)が起こしたものだ。
彼女は成宗(ソンジョン)の妻であった王妃時代に、成宗に気に入られていた側室を呪い殺そうとした。そのことが発覚して、尹氏は最終的に王妃の座を追われている。こうして彼女は、朝鮮王朝で初めて廃妃(ペビ)になるという不名誉を受けてしまった。
それだけではなかった。尹氏は姑であった仁粋大妃(インステビ)に極端に嫌われて、ついには死罪になってしまったのである。
このように、朝鮮王朝の歴史でも悪女と評される2人の女性が、ドロドロした呪詛をきっかけに死罪になっている。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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