人を呪い殺す儀式が呪詛(じゅそ)である。『太陽を抱く月』や『トンイ』などをはじめとする韓国時代劇を見ていると、標的を呪い殺すために呪詛をするシーンがよく出てくる。なぜ、それほど呪詛がひんぱんに行なわれたのか。
朝鮮王朝時代には、呪術的な儀式で本当に人を呪い殺すことができると信じられていた。
現代的な感覚では「まさか?」と思うかもしれないが、朝鮮半島には有史以来、独特のシャーマニズムが根づいており、呪術的な儀式を受け入れる下地があった。
そもそも、シャーマニズムというのは、シャーマン(霊的なものと直接的に通じる宗教的な霊能者)を介して神霊や死霊などと交渉する原始的な呪術や宗教現象を言う。
このシャーマニズムの影響が朝鮮半島では歴史的に特に強く、現代でも朝鮮半島の地方に行くと、シャーマンを通して亡くなった人の霊と通じようという儀式が行なわれているのだ。
朝鮮半島では、シャーマンは主に巫堂(ムーダン)と呼ばれている。現代でも巫堂の霊的能力を信じる人がいるくらいだから、古い慣習が残っていた朝鮮王朝時代はなおさらだった。
朝鮮王朝では、巫堂は「神病」と呼ばれる宗教的な体験を通して神の霊感を獲得した人物とみなされていた。そして、神と対話ができる神権者の地位を得ていた。
人間のすべての吉凶は神の霊によって決まると考えていた人たちは、巫堂を頼り、その人たちに願いごとを託した。
その願いの多くは死者の霊を呼び戻すことであり、巫堂が独特な儀式を通して死者の霊と対話し、その言葉を依頼人に伝えた。
さらには、特定な人物に対して「呪いをかけてほしい」と依頼する人もいる。この場合、霊能者である巫堂は人の生死まで左右する特別な存在に祭り上げられるが、朝鮮王朝時代は巫堂の神秘性が過剰に評価されていたのも事実だ。
その結果、朝鮮王朝時代には、多くの王族女性が呪詛をした罪を問われて、最後には自害させられている。
それほど、呪詛は大罪になったのだ。いわば、呪詛を行なうのも命がけだった。
現在、韓流プレミアで放送中の時代劇『トンイ』。このドラマの物語の後半で呪詛のシーンが描かれるだろう。いったいどのように描かれるのか。ぜひ注目してほしい。
構成=大地 康
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