【歴史コラム】イ・サンは病状が悪化しても常に毒殺を恐れていた

このエントリーをはてなブックマークに追加

ドラマ『イ・サン』によって描かれたイ・サン(イ・ソジン)の生涯は本当に波乱万丈だ。それでも、民のための政治をやり遂げた姿は立派だった。そんな名君は、どのように人生の終焉を迎えたのだろうか。史実に基づいてイ・サンの病状を見てみよう。

【本当は怖い⁉】名君イ・サンのゾッとするような「裏の顔」とは?

1800年6月、48歳のイ・サンは体調を崩した。旧暦の6月というと新暦でいえば真夏である。蒸し暑い日が続き、イ・サンは「毎日よく眠れない」と嘆いた。そんなことも重なり、徐々にイ・サンの体調は悪くなっていった。

彼は国王として異例なことなのだが、薬の調合に自ら立ち合い、その過程を見守っていた。イ・サンのこの行動は何を意味しているのか。薬の知識が豊富であったことも影響しているが、それ以上に自らの目で確かめる必要があったからだ。

イ・サンは極端に毒殺を恐れていた。そして、その危険性を察知していたことは間違いない。それゆえ、薬の調合も自分の目で確かめたかったのである。

6月21日、イ・サンは苦しさを示しながらこう語った。

「痛みが深く、息苦しさに襲われる。意識も朦朧(もうろう)としてくる。夢の中と現実の境が、もはや見えない」

画像=MBC

不信感の表れ

彼の心の中が不安で満ちていることが容易に察せられた。それでも、イ・サンを診療した医官は、冷静に状況を分析して報告した。

「脈は安定しており、精気の不足も感じられません。熱を生む腫れ物の存在も確認できないのですが……」

この時点で医官たちはまだ楽観視していた。しかし、イ・サンは彼らに患部を見せることを拒絶した。この事態に、内医院(ネイウォン)の高位にいた李時秀(イ・シス)が進言してきた。

「もし患部の診察を許可してくだされば、適切な処方が可能となります。医官たち全員が診療の機会を求めております。彼らに診察の機会を与えるのが、賢明と考えますが……」

しかし、イ・サンは明確な答えを避けた。

イ・サンの「医官に患部を見せない」という行動の背後には、彼の強烈な猜疑心が隠されていた。暗殺の恐怖を感じたイ・サンは、内医院の官吏たちを頻繁に変更していた。それは、彼らに対する不信感の表れだ。そんな中でも、猛暑の中でイ・サンの病状は悪化していった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

【関連】【歴史コラム】イ・サンはなぜ水原への遷都にこだわったのか

【関連】『イ・サン』で名君を堂々と演じたイ・ソジンは新作でどんなキャラを演じたか

【関連】『イ・サン』ハン・ジミン、最新自撮りがZ世代顔負け!?

前へ

1 / 1

次へ

関連記事


RANKINGアクセスランキング

写真


注目記事