古今東西、よく言われる格言に「英雄、色を好む」というものがある。傑出した英雄は同時に女性関係が派手だ、という意味になるのだが、たとえば朝鮮王朝の国王はどうだったのだろうか。
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27人いる国王の多くが側室を抱えて子供もたくさんいた、と言われている。
この場合、統治能力があって、なおかつ女性問題も派手だったというのなら納得できるところもあるが、政治をおろそかにしてただ色に溺れたというのは感心しない。
そこで、好色だった国王を3人取り上げて、その人物像を調べてみよう。
●好色の国王/ランキング3位「25代王・哲宗」
哲宗(チョルジョン)は、19世紀中頃に絶大な権力を握った純元(スヌォン)王后が、自分の一族の権力を守るために操り人形として即位させた国王である。田舎で農業していた王族青年であり、学問もろくにせずに漢字を読めなかったという。結局、操り人形という屈辱の中で、哲宗は酒と女に溺れてしまった。
それゆえ、わずか32歳で早死にした。『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』では、キム・ジョンヒョンが演じて学問好きのイケメンとして登場するが、それはあくまでもドラマの中での話であり、歴史上の哲宗は「ダメ国王」の典型と見なされた。
●好色の国王/ランキング2位「9代王・成宗」
成宗(ソンジョン)は非常に頭脳明晰で、政治的には名君と呼んでもふさわしい国王であった。朝鮮王朝の法律をまとめた大著を最終的に編纂するという大事業も成し遂げている。ただし、色を好む傾向が強く、そのために様々な女性問題も引き起こしている。
最悪の王妃だったのが尹氏(ユンシ)であり、彼女は最終的に成宗の顔を引っ掻いて廃妃になった上に死罪となっている。そんな彼女の息子が悪名高い燕山君(ヨンサングン)である。暴君を誕生させたという意味でも成宗には少なからず責任があるのだ。
●好色の国王/ランキング1位「2代王・定宗」
定宗(チョンジョン)は1398年に即位したのだが、彼も完全な操り人形の国王であった。実際には弟の李芳遠(イ・バンウォン)が絶大な権力を握っていて、彼は世子だった異母弟を殺して最大の権力者になった。しかし、すぐに即位しないで、兄の定宗をいったん国王に祭り上げて裏で糸を引いたのである。
それゆえ、定宗には実際に権限がなく、完全なお飾りの国王だった。その一方で、異様な女好きだった。たくさんの側室を抱えて享楽的な日々を過ごした彼は、1400年にわずか2年で国王の座を弟に譲った。退位したあとも女好きが直らず、派手に遊んで暮らしたという。そういう意味では、幸せな人生だったかもしれない。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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