パク・シフが主演した『風と雲と雨』は、朝鮮王朝終盤の歴史を重厚に描いた時代劇の大作であった。
このドラマで史実を語ろうとするとき、特に重要な人物が2人いる。1人は、チョン・グァンリョルが演じた興宣大院君(フンソンデウォングン)であり、もう1人がパク・ジョンヨンの扮した明成(ミョンソン)皇后である。つまり、26代王・高宗(コジョン)の父と妻なのである。
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高宗が即位したのは1863年だが、それ以前には純元(スヌォン)王后の外戚が60年近く権力を持って横暴な政治を行なっていた。
そういう前例があったので、興宣大院君はあまり力のない実家のほうから嫁を迎えた。こうして明成皇后が高宗の正室になったのだ。
確かに、彼女の実家に力はまったくなかったのだが、明成皇后は勝ち気で有能な人であった。高宗が強気に出られない性格だったので、明成皇后がどんどん政治に関わっていった。
高宗は11歳で即位したこともあり、当初は興宣大院君が代理で政治を行なった。つまり摂政を実施したわけだが、彼の政治姿勢は外国とは一切付き合わないということだった。このように攘夷(じょうい)思想が興宣大院君の信条であった。
一方の明成皇后は、早く開国して近代化しなければ欧米列国に支配されてしまうという危機感を持っていた。こうして、国王をめぐって嫁と姑の立場がまったく逆になった。
普通、嫁が姑に従うのが儒教社会なのだが、強気な姿勢で夫より勝っていた明成皇后は、姑である興宣大院君にも絶対に負けなかった。結局、2人の勢力争いが延々と続いた。
興宣大院君は1865年に、豊臣軍の朝鮮出兵のときに焼失して200年以上もほったらかしにされていた景福宮(キョンボックン)の再建工事を実施した。しかし、重税を取ったため、民衆からの評判がよくなかった。その隙をうまくついて明成皇后が実権を握っていった。以後、明成皇后は興宣大院君よりもっと強力な政治力を発揮するようになった。
こうした時代の政治を『風と雲と雨』がダイナミックに描いていて、歴史を扱った時代劇として本当に内容が良かった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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