【朝鮮王朝の逆転劇】権力者をだまして天下を取った男とは誰なのか

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今回の主人公は本名を李昰応(イ・ハウン)という。一応は王族の末端にいた。生まれたのは1820年で父親が養子になって英祖(ヨンジョ)の直系の子孫になったが、結局は彼が10代のときに両親が亡くなってしまった。以後、李昰応は経済的に恵まれず、苦労ばかりさせられていた。

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しかし、王族としての誇りを失わず、「自分が大成できなくても何とか息子を立派にしたい」という志を強く持っていた。

当時は、純元(スヌォン)王后の出身一族である安東(アンドン)・金氏(キムシ)の一族が絶大な権力を握っていて、王位にあった哲宗(チョルジョン)も存在感を示せなかった。

そんなとき、李昰応はどうやって立ち回ったのか。

彼は強い野望を持っていたが、それを絶対に安東・金氏に悟られないように装った。

そのために李昰応が取った戦略は二つだった。

ドラマ『風と雲と雨』ではチョン・グァンヨルが興宣君を演じている(写真提供=© 2020 TV Chosun)

実質的な最高権力者

まずは、自分がいかにだらしない人間であるかを見せるために、素行が悪い人たちと喜んで付き合っていた。そうやって、政治にまったく関心がないかのようにふるまった。

もう一つは、自尊心がない卑屈な人間であると思われるように仕向けた。そのために、安東・金氏の有力者の間をまわって物乞いのようなことを繰り返していた。

仮にも王族の一員であるのに、李昰応は最低の人間のように周囲から見られていた。

それは、李昰応が狙った通りだった。

彼は本当にしたたかな男であった。

そんな李昰応が豹変したのは、哲宗が急死した直後からだった。

哲宗には息子がいなかったので、国王の後継者がすぐには決まらなかった。

すると、李昰応は大妃(テビ/24代王・憲宗〔ホンジョン〕の母)と結託して、自分の二男を国王に就かせるために電光石火の動きに出た。安東・金氏の権勢に嫌気がさしていた大妃にとっても渡りに船だったので、両者のたくらみは見事に成功した。

安東・金氏は卑下していた李昰応にうまくだまされてしまったのだ。

こうして二男を26代王・高宗(コジョン)として即位させることに成功した李昰応は、興宣大院君(フンソンデウォングン)と呼ばれるようになった。「大院君」は、自分が王になっていないのに息子が即位した時から付けられる尊称だ。そして、興宣大院君は息子の摂政となって実質的な最高権力者となった。

パク・シフが主演したドラマ『風と雲と雨』では、チョン・グァンリョルが興宣大院君に扮していた。ドラマを見ると、興宣大院君が時の権力者に媚びを売る場面がよく出てくる。それは、韓国でも有名な場面なので、ドラマでも強調して描かれていたのである。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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