韓国時代劇ドラマ『風と雲と雨』は19世紀後半の朝鮮王朝を舞台に愛と運命の物語を壮大に描く時代劇である。
朝鮮王朝・最高の易術師チェ・チョンジュンを演じるパク・シフとヒロインのイ・ボンリョンに扮したコ・ソンヒが主役コンビとして躍動しているが、もう1人、物語を大きく動かす重要人物になっているのが、名優チョン・グァンリョルが演じている興宣君(フンソングン)だ。
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この興宣君は実在した人物で、彼を正しく把握しておくとドラマの面白さが倍加するに違いない。そこで、興宣君について史実を通して詳しく紹介していこう。
興宣君は1820年に生まれた。本名は李昰応(イ・ハウン)という。
彼は、朝鮮王朝16代王・仁祖(インジョ)の三男の六代孫となる南延君(ナミョングン)の四男だ。父親が国王の直系の養子になったこともあり、興宣君は21代王・英祖(ヨンジョ)の玄孫に該当する。
とはいえ、10代のときに両親が亡くなったので、青年期の彼は王族と言っても不遇であった。23歳のとき、正式に興宣君に封じられたが、閑職を転々としていて経済的に恵まれなかった。
当時、朝鮮王朝の政治は有力一族であった安東(アンドン)キム氏が権力を掌握していた(『風と雲と雨』では安東キム氏が壮洞〔チャンドン〕キム氏という名称になっている)。
そこで、力を持たない興宣君は安東キム氏になんとか取り入ろうとして、彼らの屋敷を訪ねては物乞いのような卑屈なふるまいをしていた。
「本当に情けない王族だ」。そんなふうに興宣君は陰口をたたかれた。
『風と雲と雨』でもそういう場面が描かれていて、チョン・グァンリョルが演じた興宣君は権力者の前でゴマすりをせざるをえなかった。
そうやって忍耐の日々を過ごしたのも、興宣君の二男だった命福(ミョンボク)が優秀であったからで、興宣君は息子をぜひ国王に就かせたいと秘かに思っていた。
そのためには、安東キム氏からにらまれてはいけない。いわば、権力者たちを油断させるために、興宣君はあえて卑屈な態度を取り続けていたのであった。
そうした工作が功を奏すときがやってきた。息子がいなかった哲宗(チョルジョン)が亡くなったあと、影響力が大きかった神貞(シンジョン)王后の推挙もあり、命福が26代王・高宗(コジョン)として即位することができた。
このとき、高宗は11歳だった。未成年なので摂政が必要になる。そこで、興宣君が代理で政治を仕切るようになった。こうして彼は興宣大院君(フンソンデウォングン)として朝鮮王朝の実質的な頂点に立った。
ちなみに、大院君というのは「国王の父親の中で自分は国王になったことがない人」を指す尊称である。
以後、興宣大院君は税制や法典の様々な改革を行ない、270年近く放置されていた景福宮(キョンボックン)の再建などを実施した。しかし、庶民にとって負担が増える改革が多く、興宣大院君の政治は不評だった。
そうした様子が『風と雲と雨』の後半によく描かれていた。
いずれにしても、興宣大院君は朝鮮王朝末期を大きく動かした大人物であり、『風と雲と雨』でもチョン・グァンリョルがアクの強い人物像を迫力満点で演じている。
『風と雲と雨』はこの秋、日本でもNBC ユニバーサル・エンターテイメントよりDVDがリリースされ、U-NEXTでも独占先行配信されて話題となっているので、当時の歴史に興味がある方にはぜひオススメしたい。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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